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たかが牛、されど牛…ガンジーとインド人と牛

 カレー、炎天下、牛、訛った英語、ガンジー、ボッタクリ…インドと言えば、このような単語が連想されて頭に浮かんでくることと思います。ただ、おそらくインドに来たことがない人は、この中の "牛" のイメージがいまいち湧かないのではないでしょうか。国家の首都のど真ん中を牛が自由に闊歩するインド、またヒンドゥーを信仰している人々は牛を神聖な生き物として牛肉を一切食べません。
 
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 一体、インド人はどれぐらいの温度感で牛を敬っているのでしょう。路上のゴミをもしゃもしゃと食べる牛の姿は、お世辞でも神々しいとは言えません。そんな彼らの牛に対する価値観を感じとれる本を見つけました。ガンジーの書いた"HIND SWARAJ"というインド独立に関する本です。いっけん牛とは関係のなさそうなこの本の、さらに全く関係のなさそうな「ムスリムヒンドゥーがどう共存していくのか?」という議論のなかで、その論点の一つに "Cow-Protection"、つまり牛の保護が挙げられています。国家形成の議論のなかで登場する牛…その内容を拙い翻訳ながら紹介したいと思います。
 
 
聞き手:牛の保護についてあなたの意見を聞かせ頂けないか。
ガンジー:私自身は牛を尊敬している。また牛に親しみと愛情の念を覚えている。牛はインドの守り主だ。なぜなら我々の農業は牛のおかげで成り立っているからだ。牛は数多くのなかで最も有益な動物と言えるだろう。これはムスリムの人々も認めている。しかし、私が牛を尊敬すると同様に、私は私の同胞も尊敬しているのだ。同胞がヒンドゥームスリムであるかに関わらず、それは牛と同様に有益な生き物である。そんなムスリムの同胞を、牛を守るために争い、殺すというのか?そうしていくなかで、私はムスリムのみならず、牛の敵にさえなってしまうだろう。したがって、私の知っている牛を守る方法はこれしかない。それはムスリムの同胞を、国の為に牛の保護をしていこうと説得することだ。もし彼が私の言葉に耳を傾けなかった場合は、私が未熟であったということだ。そのときは私の人生を牛を守るために費やそう、決してムスリムを取り除くわけではなく。これが我々の宗教のルールのはずだ。
 
 聞き手の「ムスリムは牛を殺すから敵だ」という主張に対して、どうにか共存の道を模索するガンジー。…日本人にとってはただの"牛"なんですけどね。そして、こうしてムスリムヒンドゥー共存を唱えたガンジーは、ヒンドゥー至上主義者に暗殺されてその人生を終えます。宗教に無関心と言える日本人にとっては、牛の保護についてこうまで議論することは理解しがたいものかもしれません。しかし、宗教観に殉じて生きている人は、世界的に見れば日本人の人口よりも圧倒的に多いのも事実です。私の住んでいる街は、牛どころか魚や卵も食べないベジタリアンの人ばかりです。
 
世界は広い。色んな価値観の人がいる。人の数だけ物語がある。せっかくなのでもっと深くインドの文化を体験してみたい今日この頃、ブログの更新頻度も上げていくつもりです。