北海道の大地で少数民族について考える
先日北海道に行ってきました。コロナ禍の続くご時世なので、出発前の充分な外出自粛と出発後の三密を避けるのを徹底しつつ観光したのですが、非常に良い旅行になりました。今日は旅行中に感じたことをブログに残しておきたいと思います。
ところで、皆さんは"北海道"の名称の由来をご存知でしょうか。僕は「そもそもなぜ北海道だけ"道"なの?」程度の知識でした。ちなみに、名称についてググってみると、松浦武四郎という人が名付け人で、松浦武四郎記念館のHP に以下の記載があります。
「道名選定上申書」を提出し、その六つの候補の中から「北加伊道」が取り上げられます。「加伊」は、アイヌの人々がお互いを呼び合う「カイノー」が由来で、「人間」という意味です。「北加伊道」は「北の大地に住む人の国」という意味であり、武四郎のアイヌ民族の人々への気持ちを込めた名称でした。明治新政府は「加伊」を「海」に改め、現在の「北海道」としました。
同じような文章が函館の北方民族資料館にもありました。なんと北海道がこれほどアイヌと関わりの深い土地だったとは...。いや僕がただ無知であっただけなのですが、これには素直に驚きました。というか、そもそも日本に暮らす少数民族の人々にどれだけ自分が無関心であったかに気がつきました。そういう視点で北海道を旅行すると色々な気づきがあって面白いです。
例えば、テレビのニュース番組。記者会見をする自治体の首長がアイヌの文様が施されたマスクをつけています。穿った見方をすると、その方が好感度が上がり票が集まるということなのでしょうか。つまり、アイヌの文様に好感を示す人が投票者に多くいるからこそつけているのかなと。
その他、街の所々で北方領土の返還を求める掲示を目にしました。本州で生活をしているとなかなか目にしない光景です。しかし、北方四島が生まれ故郷で、国家間の領土争いによって強制移住させられた人々を考えると、その当事者が住む北海道では取り組む姿勢が違います。
一方で、ここでアイヌに目を向けてみると、アイヌも樺太や千島で元々暮らしていたにも関わらず、日本とロシアの領土争いによって北海道へ強制移住させられた歴史もあるそうです。しかも、アイヌの人々も第二次世界大戦では兵隊として駆り出されていたんだとか。民族独自の信仰を持って大地の自然と共に平和に暮らしていたら、いきなり本州から人がやって来て、自分達の暮らしを取り上げられたらさぞ苦しかったでしょうね...。
それにしても北方民族のダイナミックさ。下記も函館の北方民族資料館の展示です。大きい大きいと思っていた北海道がちっぽけに見える。写真は自分で撮るのを忘れていたので他の方のものを引用させて頂きます。
ちなみに、日本政府が公式に「先住民族」として認めているのはアイヌだけだそうです。以前に沖縄・奄美群島に旅行に行った際に、琉球民族に対しての仕打ち、そして沖縄での本土決戦の経緯を改めて学び、なんと残酷な歴史なんだと思ったものです。最近のテレビの風潮で、日本人は民度が高くという見せ方をすることが多いと聞きますが、日本人は自分達以外の民族に対しては結構自分勝手なところがありますよね。。
いま私は東京で住みやすいと感じることが多いです。中国やインドで外国人として暮らしていた頃と比べると雲泥の差です。しかし、その日本人としての、Majorityとしての住みやすさの裏には、Minorityの存在があることを忘れてはいけないですね。一個人として出来ることはそれほど多くはないですが、Majorityの人が困窮している場面に遭遇したらきちんと手を差し伸べる人でありたいです。
アイヌのコミュニティにも微力ながら何か貢献できればと思い、アイヌの着物を購入してみました。白老町にあるウポポイ(民族共生象徴空間)や札幌市内で探したのですが、結局販売しているところはなく、ネットで見つけた 北海道白老ねっと商店 でようやく手に入れました。アイヌの着物は背中の文様が重要だそうです。
カッコいい。これでリモートワークのWeb会議に参加してやるぜ...!?
広大な北海道。今度は道東や道北の方にも行ってみたいと思います。