病気と幸福、そして人生
久しぶりのポエム記事です。まず最初に、僕自身が大病にかかっているということではありませんのでご心配なく。ただ、最近になって健康や幸福について考えさせられる出来事が立て続けに起きたため、今の自分の考えを記録しておきたいと思います。
不整脈の診断を受けました
2023年度の健康診断で指摘を受け、その後の精密検査で不整脈であるという診断を受けました。不整脈は、脈がゆっくり打つ、速く打つ、または不規則に打つ状態を指す、心臓の病気です。不整脈には色々な種類があり、加齢とともに起こるものもあるので、内容によってはそこまで心配するものではないのかもしれませんが、実は僕が不整脈の診断を受けるのは2回目であるため、自分にとってはインパクトのある出来事となりました。
最初の不整脈は僕が中学生の頃でした。正確な病名はもう覚えていないのですが、発作が起きたときに心拍数が220/分 程度にまで達してしまうという症状でした。安静時の心拍数は50~70/分 なので、約3~4倍の数値です。全力ダッシュしたとき以上に心臓がドキドキしていたのをよく覚えています。そして、中学2年生の頃にカテーテルアブレーションという手術を受けることになります。これは太ももの付け根の太い血管から細い管のようなものを入れていき不整脈を引き起こしている異常な回路を焼き切ってしまうという内容でした。手術は無事に終わったのですが、中学2年生の僕にとってはなかなかの衝撃的な出来事で「もう手術は受けたくない」と強く思ったものでした。
そこに約25年越しの不整脈という診断です。正直ショックでした。今回の不整脈は心室性期外収縮というものだそうです。詳細な症状を以下に引用します。
不整脈の中で最もよく見られるのが期外収縮です。これは心臓の中で規則的に電気を送ってくれる"発電所"(洞結節)とは別の場所から、やや早いタイミングで心臓に電気が流れる現象です。初めに説明しましたように、期外収縮は30歳をすぎる頃からほとんどの人に認められ、年齢と共にしだいに増加します。
このうち心房から出てくる期外収縮を心房性期外収縮、心房の下の心室から出てくるものを心室性期外収縮といいます<下図>。これらが出ると、脈が1拍欠けたように感じますが、決して心臓が止まったわけではありません。やや早期に心臓が収縮したために、脈としてふれることができなかった、つまりその1拍分の脈圧が弱かったために脈をふれなかっただけにすぎません。
期外収縮はそれを感じない人の方が多いのですが、のどや胸の不快感や動悸、またはキュッとしたごく短い時間の痛みとして感じる人もいます。期外収縮が連続して出現したときは一時的に血圧が下がり、めまいや動悸がすることもあります。
期外収縮は病気に関連して起こることもありますが、多くは病気とは関係なく、年齢や体質的な理由で出ます。ただ心室性期外収縮の一部は心筋梗塞や心筋症が原因で起きている場合があり、そのため危険な不整脈に移行することがあります。
期外収縮があるといわれたら、原因の病気がないか、また期外収縮から危険な不整脈に移行する可能性がないかを一度は調べてもらったほうがよいでしょう。
国立循環器病研究センター
その診断の結果は、心臓の機能そのものに問題があるところはなく、不整脈の頻度もすぐに治療が必要なものではないという結論でした。まずはひと安心です。具体的には次の判断基準で治療を行うとのことでした。
僕の場合は不整脈の頻度が1850回/day、心機能に問題なし、ということで経過観察となりました。1年に1回、24時間の心電図を測り、不整脈の頻度がどのように推移していくかを見守っていく予定です。以前のように手術が必要というわけではなくて良かったのですが、自身の健康について考える一つのキッカケになりました。
山崎元氏、死去
2024年1月1日に経済評論家の山崎元氏が食道がんのため亡くなりました。僕が山崎さんのことを知ったのは2017年に著書のほったらかし投資術をたまたま手にとったのがキッカケです。当時は今ほどFIREや資産運用という言葉が話題になることは少なかったのですが、山崎さんは「インデックス投資をしたら後はほったらかしにしておけ」という非常に簡潔な主張を繰り返しされており、僕はその影響を受けてインデックス投資を中心にした資産運用を始めることになりました。
2017年以降の株式相場は、長期的な上昇トレンドの中で2020年にコロナウイルスによる暴落が起きたりと、それなりに色んなイベントがあったのですが、山崎さんの著書にならって淡々とインデックス投資のほったらかしを続けてきたおかげで、それなりにまとまった資産を築くことができました。経済的な自立は人生に余裕を与えてくれます。それまで資産運用などに全く興味がなかったため、現在感じられている少しばかりの余裕は山崎さんのおかげであるという感謝の気持ちがあります。
そんな山崎さんがまだまだ若くして亡くなってしまった。しかも定期的な健康診断を怠って癌の早期発見をすることができなかったのが一因であるというのは非常にショックでした。そのときの様子を闘病中にも関わらずYouTubeに出演して赤裸々に語ってくれています。ホリエモンは予防医療に力を入れているので、批判されること間違いなしの状況で、出演されているのも見事だと思いました。
また、闘病中に山崎さんが書いていたnoteは必見です。余命宣告を受けながらも力強い文章で最後まで読者に何かを伝えようとしてくれました。私が特に印象的だったのは以下の部分です。
再発に至ったことに関して、それまでの治療方針や検査などの選択を検討し後悔するような気持ちは一切起きなかった。ここまでに至った諸々は、「サンクコスト」である。大事なのは、これから何をするかだけだ。
...
さて、では私はどのような人に会いたいのか。「サンクコストにこだわるな、機会費用を見落とすな」を長年意思決定の習慣としている私としては、昔話をしたがる人物には現在全く会いたいという気が起きない。
「癌」になって、考えたこと、感じたこと(4)
現在を理解したり、時間が短いとは言えこれから何かをしたりする参考になるアイデアを持った人物に会いたい。
さて、客観的に「持ち時間」を予想し、これに対応して、一方で「希望」も捨てないことが、共に重要だということが、もともとの筆者の主張であった。
「癌」になって、考えたこと、感じたこと(5)
この考え方は、幸福の追求がぎりぎりまで出来ること、と「人生の通算成績」は死後に持って行くことは出来ないということの二つの強力な事実によって支えられている。
とは言え、「予想」される持ち時間が、急に短縮されてしまった場合にこれにどう向き合うかは精神的にもハードな作業だ。
筆者は、先ず2023年の3月に再発が分かった時に余命平均ベースで半年、悪いケースで3か月の「持ち時間」を覚悟した。その後、11月から12月にかけて急速に体調が悪化した時に、平均で2か月、最悪で1か月と意識した。このような場合、何をするかの選択は、最悪のケースの方を意識して行うべきものだろう。
2年、3か月!、1か月!!。原理は同じはずなのだが、1か月ともなると、向こう側からも時間がこちらに迫ってくる感じがする。
しかし、このような時こそ、原理に立ち返るべきだ。
最期の日のぎりぎりまで幸福は追求できる。一方、他人はその人を過去の業績その他で評価しようとするかも知れない。実は、このズレを上手く利用することが良い人生を送るコツになるのではないか。「本人」にとって、他人からの評価は「サンクコスト」に過ぎないからだ。
いくら努力しても過去の蓄積を「本人」は将来に持ち込むことが出来ない。
過去は「他人」のもの、最期の一日は「本人」のものだ。お互いに機嫌良く過ごす上で邪魔になるものは何もない。
上機嫌なら全て良し、と思うがいかがだろうか。
山崎さんの最後の記事は、山崎さんの生き方が詰まっていて一部を引用することが難しく、全文を引用させて頂きました。自身の持ち時間を冷静に捉えたうえで、希望を失わず、最後まで充実した時間を過ごそうとしたその生き様には非常に感銘を受けました。もし私が癌になったとしたら到底このような思考を持つことは無理であったと思います。改めて山崎さんのご冥福をお祈りします。
さて、では自分自身の残り時間は?
僕は煙草も酒もやりません(昔は大いにやってましたが)。運動と睡眠も十分にとっている方です。日本人男性の平均寿命である80歳近くまで残り時間があると考えても過度な見積もりではないはずです。しかし、交通事故や災害に遭って急に命を落とすかもしれません。そこまででなくても、前述の不整脈が悪化して趣味であるサウナやランニングが十分にできなくなるかもしれません。
人生は誰しもが有限なもの。まずはこの当たり前の事実を忘れずに生きていくことが重要です。次のマラソンが人生最後かもしれない。このサウナ施設に行くのは今回が最後かもしれない。毎回こんなことを考えるのは大げさかもしれませんが、その認識を持ちつつ、次の一回を惰性でやらずにしっかりと楽しむようにしたいです。
思い出は複利的に人生を幸福にしてくれるという考えがあります。記憶がある限り思い出を通じて人生の出来事を再体験することができる、その経験を話題に友人と笑いあい絆を深めることができる、という考え方です。
これは僕も非常に共感するところなのですが、山崎流に言えば過去の人生の出来事はサンクコストです。過去の武勇伝を何度も会う度に語る人に嫌気が差した経験を持つ人も少なくないのではないでしょうか。思い出に浸るというのは楽しい時間である一方で、何度も繰り返すとその思い出は陳腐化していきます。つまり、時間の有限さを忘れず、新しく楽しい思い出を築けるように日々を過ごしていくことが、人生を充実させる生き方だと言えるのではないでしょうか。
あらためて、1日1日を大切にして、新しい経験を積むことにチャレンジしていこうと心に刻みました。