30〜40代では積み上げた成功体験を壊すべきなのか?

先日35歳になりまして、ついに30代も後半戦です。歳を重ねるにつれて、考え方や時間・お金の使い方に変化を感じます。日々を順風満帆のように感じる一方で、このままで良いのだろうかと感じることもあり、なんだか複雑な心境の今日このごろ。この記事では最近よく考える「積み上げた成功体験を壊すべきなのか?」ということについてポエムを残しておこうと思います。

 

フルマラソンに初挑戦(そして途中リタイアしました...)
写真はかすみがうらフルマラソンの公式HPより

30〜40代で共通して訪れる心理的な不安定さ

この心境は、どうやら私1人に発生しているものではなく、ミッドライフ・クライシスや35歳問題と呼ばれる30〜40代特有の心理的な不安定があるらしいです。35歳問題というのは、村上春樹の「プールサイド」という短編で、主人公が35歳になったときに人生の折り返し点を曲がってしまったことを悟り、何不自由なく暮らしているはずなのに涙を流すという話から来ているそうです(超ざっくり)。

最近、批評家の東浩紀氏が改めて35歳問題について読者の質問に答えていました(2009年にクォンタム・ファミリーズという小説で扱っている)。一部を引用します。

30代から40代にかけての時期が、総じてなにか人生が閉じたように感じられる年代であることは確かです。そこそこキャリアを積み上げ、自分の限界がわかってくる。着地点の見通しもついてくる。それを安心や安定ととるか、それとも停滞ととるかはひと次第です

安定と挑戦、そのどちらを選択したとしても不満や後悔は残るのだと思います。それが人生というものなのでしょう。35歳というのは、そういう「どっちを選んでも正解ではない選択」に迫られ始める時期なのかもしれません。

 

ああ、まさに!という内容です。そう、そうなんです。20代の頃に挑戦を繰り返してきた結果、徐々に結果がついてくるようになり、先々が見通せるようになってきました。仕事でも大きな失敗は回避できるようになり、職業人としての日々が安定してきているのですが、「そもそもお前は安定した生活なんて欲するようなタイプじゃなかったじゃないか」という自問自答が頭の中に残ります。

 

周囲を見回してみると、同年代の友人から著名人まで、多かれ少なかれ同じような悩みを耳にします。例えば、先日何気なくYouTubeを見ていると、幻冬舎見城徹氏と編集者の箕輪厚介氏が同じようなテーマで会話をしていました。

 

冒頭からこのように始まります(2:30頃)。

箕輪「僕、36になったんですけど、60、70で定年、社会人として終わるとなるとちょうど折り返し地点なんですよ。」

箕輪「36ぐらいになると、そこそこ頑張ったり実績残したりすると、そもそもこのまま頑張ることに意味があるのかとか、金がこれ以上必要なのか、何を成し遂げたいんだとか。見城さんが35, 6のとき今の僕みたいな感じなのか、それともまだまだエネルギーに満ちていたのか、その辺の見城さんが35, 6のときの話を聞いて刺激を受けたいなあというのがあります」

箕輪氏と言えば著名な編集者ですが、そういう人であってもこのような悩みを持つんだなあと。それに対して見城氏は次のように話します(12:00頃)。

見城「すごい楽した仕事をしてたわけよ。で、俺、駄目になっているなあと思っていて、面倒くさい作家にはもう行かなくなっていたし。」

見城「勝手に動くのよ、すべてが。」

見城「それも圧倒的自分の努力で作り上げたものだけど、そんなものはいつも自分でぶち壊さなきゃだめなわけじゃない。」

見城「俺もう腐っていると思っていたから。一回自分をぶち壊さないとダメだと思っていた時期なんで...」

見城徹氏、35歳の頃に同種の悩みを抱えるものの、積み上げた成功体験を自ら壊して新しい挑戦を続けていけと。実際、見城氏は43歳で幻冬舎を設立し、様々な挑戦を続けていくのでさすがです。

 

結局は自分がどのように生きたいのか

最近僕はランニングにハマっています。これまで全くと言ってよいほど運動をしてこなかったのですが、だからこそ出来ないことが出来るようになっていく過程が楽しいです。今はフルマラソンの完走を目指して練習をしていますが、その先では4時間切りとタイムを狙って練習を続けるのも楽しそうだと感じています。こう考えると僕はやっぱり何か新しいことに挑戦するのが好きなんだと思います。

人生は選択の連続です。何かを選べば何かが手に入らなくなる。40歳前後は自身の人生で何が手に入って、何が手に入らないのかわかってくる時期と言えるでしょう。そして、積み上げた成功体験を壊すということはそれまでに手に入れていたものを手放すということです。残りの人生で新しい何かを手に入れられる確証はないので、それは勇気がいることなのかもしれません。ただ、残りの人生を、既に手に入れているもの、延長線上で手に入れられるものだけを守って生きていくことに、少しでも退屈さや不満を感じるようであれば、ここが人生における勇気の出しどころなのだと思います。

 

というわけで

正解のない問いをまとまりもなくだらだらと書き綴りましたが、僕の人生においては、成功体験を積み上げて崩す、これを繰り返すことで充実してくるのだと思います。大事なことは常に新しい何かに挑戦していくこと。これは仕事に限らず、スポーツなどの趣味も含めてです。まずは10月にエントリーしているフルマラソンで初めての完走を達成したいと思います。それでは。