病気と幸福、そして人生

久しぶりのポエム記事です。まず最初に、僕自身が大病にかかっているということではありませんのでご心配なく。ただ、最近になって健康や幸福について考えさせられる出来事が立て続けに起きたため、今の自分の考えを記録しておきたいと思います。

at 熊野古道伊勢路 馬越峠。岩の上に木が立っていて自然の生命力を感じる

 

不整脈の診断を受けました

2023年度の健康診断で指摘を受け、その後の精密検査で不整脈であるという診断を受けました。不整脈は、脈がゆっくり打つ、速く打つ、または不規則に打つ状態を指す、心臓の病気です。不整脈には色々な種類があり、加齢とともに起こるものもあるので、内容によってはそこまで心配するものではないのかもしれませんが、実は僕が不整脈の診断を受けるのは2回目であるため、自分にとってはインパクトのある出来事となりました。

最初の不整脈は僕が中学生の頃でした。正確な病名はもう覚えていないのですが、発作が起きたときに心拍数が220/分 程度にまで達してしまうという症状でした。安静時の心拍数は50~70/分 なので、約3~4倍の数値です。全力ダッシュしたとき以上に心臓がドキドキしていたのをよく覚えています。そして、中学2年生の頃にカテーテルアブレーションという手術を受けることになります。これは太ももの付け根の太い血管から細い管のようなものを入れていき不整脈を引き起こしている異常な回路を焼き切ってしまうという内容でした。手術は無事に終わったのですが、中学2年生の僕にとってはなかなかの衝撃的な出来事で「もう手術は受けたくない」と強く思ったものでした。

そこに約25年越しの不整脈という診断です。正直ショックでした。今回の不整脈心室性期外収縮というものだそうです。詳細な症状を以下に引用します。

不整脈の中で最もよく見られるのが期外収縮です。これは心臓の中で規則的に電気を送ってくれる"発電所"(洞結節)とは別の場所から、やや早いタイミングで心臓に電気が流れる現象です。初めに説明しましたように、期外収縮は30歳をすぎる頃からほとんどの人に認められ、年齢と共にしだいに増加します。

このうち心房から出てくる期外収縮を心房性期外収縮、心房の下の心室から出てくるものを心室性期外収縮といいます<下図>。これらが出ると、脈が1拍欠けたように感じますが、決して心臓が止まったわけではありません。やや早期に心臓が収縮したために、脈としてふれることができなかった、つまりその1拍分の脈圧が弱かったために脈をふれなかっただけにすぎません。

期外収縮はそれを感じない人の方が多いのですが、のどや胸の不快感や動悸、またはキュッとしたごく短い時間の痛みとして感じる人もいます。期外収縮が連続して出現したときは一時的に血圧が下がり、めまいや動悸がすることもあります。

期外収縮は病気に関連して起こることもありますが、多くは病気とは関係なく、年齢や体質的な理由で出ます。ただ心室性期外収縮の一部は心筋梗塞や心筋症が原因で起きている場合があり、そのため危険な不整脈に移行することがあります。

期外収縮があるといわれたら、原因の病気がないか、また期外収縮から危険な不整脈に移行する可能性がないかを一度は調べてもらったほうがよいでしょう。

 

 

国立循環器病研究センター 

その診断の結果は、心臓の機能そのものに問題があるところはなく、不整脈の頻度もすぐに治療が必要なものではないという結論でした。まずはひと安心です。具体的には次の判断基準で治療を行うとのことでした。

心室性期外収縮の治療基準

僕の場合は不整脈の頻度が1850回/day、心機能に問題なし、ということで経過観察となりました。1年に1回、24時間の心電図を測り、不整脈の頻度がどのように推移していくかを見守っていく予定です。以前のように手術が必要というわけではなくて良かったのですが、自身の健康について考える一つのキッカケになりました。

 

山崎元氏、死去

2024年1月1日に経済評論家の山崎元氏が食道がんのため亡くなりました。僕が山崎さんのことを知ったのは2017年に著書のほったらかし投資術をたまたま手にとったのがキッカケです。当時は今ほどFIREや資産運用という言葉が話題になることは少なかったのですが、山崎さんは「インデックス投資をしたら後はほったらかしにしておけ」という非常に簡潔な主張を繰り返しされており、僕はその影響を受けてインデックス投資を中心にした資産運用を始めることになりました。

2017年以降の株式相場は、長期的な上昇トレンドの中で2020年にコロナウイルスによる暴落が起きたりと、それなりに色んなイベントがあったのですが、山崎さんの著書にならって淡々とインデックス投資のほったらかしを続けてきたおかげで、それなりにまとまった資産を築くことができました。経済的な自立は人生に余裕を与えてくれます。それまで資産運用などに全く興味がなかったため、現在感じられている少しばかりの余裕は山崎さんのおかげであるという感謝の気持ちがあります。

そんな山崎さんがまだまだ若くして亡くなってしまった。しかも定期的な健康診断を怠って癌の早期発見をすることができなかったのが一因であるというのは非常にショックでした。そのときの様子を闘病中にも関わらずYouTubeに出演して赤裸々に語ってくれています。ホリエモンは予防医療に力を入れているので、批判されること間違いなしの状況で、出演されているのも見事だと思いました。

 

 

また、闘病中に山崎さんが書いていたnoteは必見です。余命宣告を受けながらも力強い文章で最後まで読者に何かを伝えようとしてくれました。私が特に印象的だったのは以下の部分です。

再発に至ったことに関して、それまでの治療方針や検査などの選択を検討し後悔するような気持ちは一切起きなかった。ここまでに至った諸々は、「サンクコスト」である。大事なのは、これから何をするかだけだ。

...

さて、では私はどのような人に会いたいのか。「サンクコストにこだわるな、機会費用を見落とすな」を長年意思決定の習慣としている私としては、昔話をしたがる人物には現在全く会いたいという気が起きない。
 現在を理解したり、時間が短いとは言えこれから何かをしたりする参考になるアイデアを持った人物に会いたい。

「癌」になって、考えたこと、感じたこと(4) 

 

さて、客観的に「持ち時間」を予想し、これに対応して、一方で「希望」も捨てないことが、共に重要だということが、もともとの筆者の主張であった。
 この考え方は、幸福の追求がぎりぎりまで出来ること、と「人生の通算成績」は死後に持って行くことは出来ないということの二つの強力な事実によって支えられている。
 とは言え、「予想」される持ち時間が、急に短縮されてしまった場合にこれにどう向き合うかは精神的にもハードな作業だ。
 筆者は、先ず2023年の3月に再発が分かった時に余命平均ベースで半年、悪いケースで3か月の「持ち時間」を覚悟した。その後、11月から12月にかけて急速に体調が悪化した時に、平均で2か月、最悪で1か月と意識した。このような場合、何をするかの選択は、最悪のケースの方を意識して行うべきものだろう。
 2年、3か月!、1か月!!。原理は同じはずなのだが、1か月ともなると、向こう側からも時間がこちらに迫ってくる感じがする。
 しかし、このような時こそ、原理に立ち返るべきだ。
 最期の日のぎりぎりまで幸福は追求できる。一方、他人はその人を過去の業績その他で評価しようとするかも知れない。実は、このズレを上手く利用することが良い人生を送るコツになるのではないか。「本人」にとって、他人からの評価は「サンクコスト」に過ぎないからだ。
 いくら努力しても過去の蓄積を「本人」は将来に持ち込むことが出来ない。
 過去は「他人」のもの、最期の一日は「本人」のものだ。お互いに機嫌良く過ごす上で邪魔になるものは何もない。
 上機嫌なら全て良し、と思うがいかがだろうか。

「癌」になって、考えたこと、感じたこと(5) 

山崎さんの最後の記事は、山崎さんの生き方が詰まっていて一部を引用することが難しく、全文を引用させて頂きました。自身の持ち時間を冷静に捉えたうえで、希望を失わず、最後まで充実した時間を過ごそうとしたその生き様には非常に感銘を受けました。もし私が癌になったとしたら到底このような思考を持つことは無理であったと思います。改めて山崎さんのご冥福をお祈りします。

 

さて、では自分自身の残り時間は?

僕は煙草も酒もやりません(昔は大いにやってましたが)。運動と睡眠も十分にとっている方です。日本人男性の平均寿命である80歳近くまで残り時間があると考えても過度な見積もりではないはずです。しかし、交通事故や災害に遭って急に命を落とすかもしれません。そこまででなくても、前述の不整脈が悪化して趣味であるサウナやランニングが十分にできなくなるかもしれません。

人生は誰しもが有限なもの。まずはこの当たり前の事実を忘れずに生きていくことが重要です。次のマラソンが人生最後かもしれない。このサウナ施設に行くのは今回が最後かもしれない。毎回こんなことを考えるのは大げさかもしれませんが、その認識を持ちつつ、次の一回を惰性でやらずにしっかりと楽しむようにしたいです。

思い出は複利的に人生を幸福にしてくれるという考えがあります。記憶がある限り思い出を通じて人生の出来事を再体験することができる、その経験を話題に友人と笑いあい絆を深めることができる、という考え方です。

これは僕も非常に共感するところなのですが、山崎流に言えば過去の人生の出来事はサンクコストです。過去の武勇伝を何度も会う度に語る人に嫌気が差した経験を持つ人も少なくないのではないでしょうか。思い出に浸るというのは楽しい時間である一方で、何度も繰り返すとその思い出は陳腐化していきます。つまり、時間の有限さを忘れず、新しく楽しい思い出を築けるように日々を過ごしていくことが、人生を充実させる生き方だと言えるのではないでしょうか。

あらためて、1日1日を大切にして、新しい経験を積むことにチャレンジしていこうと心に刻みました。

 

 

 

 

 

2023年を振り返って

 

皆さん一年間お疲れ様でした。毎年振り返りのときは「一年あっという間だった!」のようなことを書いているのですが、今年はむしろ「あれ、あの出来事もまだ今年のことだったのか…」という感覚が強いです。それだけ充実していた一年だったと言うことができると思うのですが、改めて一年を振り返ることで、来年もさらに充実させていきたいと思います。

 

2回目のフィンランド旅行 at イソケンカイステンクルビ

 

2023年の振り返り

タイムライン

Input(本)

 

昨年末のエントリーシートでは「富士山に登る」「フルマラソンで4時間を切る」「ローカルコミュニティと接点を持つ」の3つを設定していました。あえて仕事の目標を入れなかったのですが、GPT-4の登場が仕事にとてつもなく大きな影響を与え、仕事への基本的な考え方から日々の業務内容までを変えてしまいました。プライベートでも、海外旅行を再開したり、小田原へ引っ越したり、不整脈と診断されたりと、今後の生活や自分の考えに影響を及ぼす出来事が多かったです。このエントリーにそれら全てについて書くと凄いボリュームになってしまうので別のエントリーとしてまた書こうと思います。ここではまず目標に対して一つずつ振り返りをしたいと思います。

 

目標1. 富士山に登る

達成です。これは昨年のリベンジの目標でした。昨年は登山のスケジュールと妻の体調が思うように噛み合わずに見送っていたのですが、今年は会社のランニング部のメンバーとチャレンジしてきました。ランニング部、ガチ勢が多くて凝り性の自分としては大変ありがたい存在です。この日も富士山須走口五合目に現地集合という強気(?)な予定でしたが、合計4名のメンバーで登ってきました。

4名とも「富士山に登りたい!」という登ること自体への目的意識が共通して強く、御来光やお鉢巡りは一切考慮せず、朝から登り始めて頂上に着いたら早々にUターンして最終のバスで帰るという弾丸日帰りプランでした。今年は無計画な登山客によるトラブルが多かったようで、日帰りを避けた計画立てることが推奨されていましたが、マラソン完走者ばかりのメンバーだったので、標準コースタイムの8割ぐらいの時間で登って降りる計画でいきました。

頂上付近は岩の壁という感じでした。

3776mというのはたしかになかなかハードでしたが、無事に全員が登山病になることもなく、また怪我をすることもなく、無事に登頂することができました。3000mを超えたあたりからすぐに息があがってしまう体験は初めてで「人間の身体はこうなってしまうんだ」と妙に感心してしまいました。唯一残念だったのは、この日は天気がずっと曇りで景色が全く見えなかったことです。逆に言うと雨を逃れることができて幸運ではあったのですが・・・。富士山の感触を少し掴むことができたので、次は別のルートから再チャレンジして御来光や景色を楽しむのも良いかなと思っています。

登頂の瞬間を撮ってもらっていました。感謝。

 

目標2. フルマラソンで4時間を切る

未達です。これは元々かなりハードルが高いとは思っていたのですが、達成することができませんでした。結果は横浜マラソンに出走して4時間46分でした。

公式の完走証

横浜マラソンの前には21kmであれば2時間を切れるようになっていたので、もしかしたら達成できるのかも?という淡い期待があったのですが、フルマラソンはそんなに甘くありませんでした。

また、この日はスタート前にトイレに行っていたら整列時間に遅れてしまい、遅延組という集団の一員として最後尾からスタートをするという失態を犯してしまいました。タイム自体はネットタイムという自分がスタートした時点からを目標にしているので特に問題ないのですが、4時間を切るペースで走ろうと思っても前の集団が詰まっていて思うように走れないもどかしさがありました。おそらく通常通りスタートしても今の自分の実力では4時間切りは難しかったと思うのですが、完全に力を出し切れた実感もないため、少し後悔が残るレースになってしまいました。

 

目標3. ローカルコミュニティと接点を持つ

未達です。これは自分の性格を見誤っていたというか、案の定ともいうのか、小田原市に引っ越しても、自宅が大好き、1人で趣味を満喫、そしてネット弁慶という性分は変わらず、コミュニティ活動をすることはありませんでした。強いて挙げるのであれば、近所の行きつけの整体の先生に偶然ばったり会ったときに挨拶されたのがローカルコミュニティと接点が持てた瞬間でしょうか・・・。

誤解のないように補足すると、小田原の暮らしは大変満足しています。過去に住んだ場所で一番良いと感じているぐらいです。自分の趣味にアウトドアのものが加わってきたというのも大きいと思いますが、海が近くて山も近くて温泉もある、そういう立地を思う存分に楽しんでいます。

北条五代祭りに来ていた柳沢慎吾

2024年の目標

2024年は以下の3つを目標にします。以下、具体的に内容を補足します。

  1. データ × AI の仕事で成果を出す
  2. 健康のための検査・治療を行う
  3. フルマラソンで4時間を切る(リベンジ)

 

目標1. データ × AI の仕事で成果を出す

2024年はまず最初に仕事の目標を掲げようと思います。これまであまり発信が出来ていませんでしたが、GPT-4の登場とともにR&D組織を立ち上げ、LLMを中心にした仕事をしてきました。過度な期待を持ったピーク期を経て、万能に見えて実は不得手なこともたくさんあってプロダクションに組み込むことの難しさを知った幻滅期に突入し、色々と酸いも甘いも体験した今だからこそ、きちんと成果を残せる状態になったと感じています。新年度はR&D組織をデータ・AIを取り扱う組織に形を変え、より一層コミットしていくつもりです。結果出します!

 

目標2. 健康のための検査・治療を行う

年が明けたら37歳、いよいよ40歳が近づいてきました。もともと40歳になったら身体の総点検をしようと考えていたのですが、まとめてたくさんの検査を受けるのも大変なので、分散させて来年から始めていこうと考えています。

まずは今年に不整脈と診断を受けたのでその定期検診があります。それに加えて、大腸の内視鏡検査をやろうと思います。これまで胃の内視鏡検査はしたことがあったのですが、大腸の検査を受けたことはなく、定期的に下痢になったり便秘になったりしていて、少し気になる症状もあったので、思い切って検査を受けてスッキリしたいと思っています。検査自体は鎮痛剤を使ってもらうのでそこまで心配ではないのですが、検査に至るまでの腸の洗浄が気が重い・・・。もう予約はしているので腹を決めてやってきます。

そしてずっとその場しのぎで乗り越えてきた花粉症の根本治療もやります。高校1年生の頃から付き合ってきた花粉症。よくよく考えると、1年には季節が4つしかないのに、その内の一つが外出できないレベルのアレルギーが出るというのはかなりの異常事態ですよね。スギ花粉には舌下免疫療法という約2~3年のあいだ毎日薬を服用しなければいけないというなかなか厳しい治療法なのですが、長い目で見たときに花粉症でないことによる幸福度の高まりは計り知れないと思い、ようやく重い腰を上げようと決めました。

 

目標3. フルマラソンで4時間を切る(リベンジ)

再びフルマラソン4時間切りにチャレンジします。そろそろ達成できるのではないかという感覚は少しずつ芽生えてきているので、来年こそやってやります!歳を重ねると余計にハードルがあがると思うので、若いときに達成しておきたい目標です!

 

終わりに

というわけで、2023年の振り返りと2024年の目標でした。もうすぐ小田原で迎える初めての正月です。初詣はどこに行くものなのか?そんな些細なことを考えながら年越しの準備ができるのは新しい街に引っ越す醍醐味の一つです。生活に変化があるのはとても良いことです。その内、ここでの暮らしも当たり前になってしまうと思うのですが、そのなかでも常に新しさや変化を見出していきたいと思います。さて、そんなわけで、取り留めもない終わりになりましたが、2023年は皆さん大変お世話になりました。良い年をお迎えください。

 

 

 

 

2022年を振り返って

2022年もあっという間に終わりですね。ブログを書く習慣はすっかり失われてしまいましたが、1年の振り返りだけは年末の風物詩として続けていきたいと思っています。2012年からはてなブログを書いているので、当時の考えを改めて読むことができるのは貴重に感じます(それ以前はアメブロに書いていましたがその頃の黒歴史は既に葬り去りました)。

今年はコロナが良くも悪くも日常となり、活動の幅が以前のように戻ってきたのではないかと思います。2023年からは久しぶりに海外旅行にも行くつもりです。しっかり2022年を振り返り、新たな1年を迎えたいと思います。

 

らかんの湯が麓にある御船山

2022年の振り返り

タイムライン

  • 1月   ... ピープル&カルチャーユニットへ異動
  • 2月   ... 伊豆の温泉旅館「おちあいろう」へ
  • 4月   ... かすみがうらマラソン出走
  • 6月   ... 京都旅行
  • 8月   ... 初登山 at  筑波山 
  • 9月   ... 会社でエンゲージメントサーベイを実施
  • 10月 ... 水戸黄門漫遊マラソン出走
  • 11月 ... 佐賀旅行
  • 12月 ... プロダクト開発ユニットへ再び異動が決定

Input(本)

昨年末のエントリーでは「フルマラソンを完走する」「富士山に登る」「ピープル&カルチャー領域の仕事で結果を残す」の3つを2022年の目標として掲げていました。定量的なインプットの目標設定はしなかったのですが、最低限は本を読むことができていたようで少し安心しました。学びを続けながら1年を通じて目標を意識して過ごすことができて、良い1年だったと思うのですが、いつもに増して時間が過ぎるのを速く感じました。それだけ充実していたということなのか、それとも加齢によるものなのか…。いずれにせよ目標を一つずつ振り返りたいと思います。

 

目標1. フルマラソンを完走する

達成です。フルマラソンを2回走ったのですが、2回目の大会で4時間52分のタイムで完走することができました。決して良いタイムというわけではありませんが、一つの区切りである5時間を切ることができて満足しています。

ラソンスタート前。直前までマスクというコロナ禍仕様の大会でした。

フルマラソン、始めるまでは「いったい何が楽しいのだろう?」というのが率直な気持ちだったのですが、やってみるとドハマリしています。この歳になると新しいことに全くの初心者として挑戦する機会は非常に少なくなりますが、フルマラソンはその機会を与えてくれました。当初は3kmも走れなかったところからスタートして、次第に距離とスピードが伸びていく様子を感じられるのがとても楽しいです。また、42kmを走って発見する自分の身体の感覚など(まさに足が棒になる感じとか)、新鮮な体験ばかりです。もちろん辛い練習も多々ありますが、タイムを4時間30分→4時間→3時間30分と伸ばしていくにあたってまた新たな発見もあるでしょうし、しばらくは続けていきたいと思います。

 

目標2. 富士山に登る

未達でした。妻と富士山に登る計画をしていたのですが、登山のスケジュールと妻の体調が思うように噛み合わず、今年は見送ることにしました。残念ですが来年に持ち越したいと思います。

一方で、富士山の予行練習として筑波山と大山に登りました。これは中学生の頃以来のちゃんとした登山で、とても良い経験でした。ランニングにもハマっているので、もしかしたらトレイルランニングにも手を出すかもしれません。

神奈川県の大山

 

目標3. ピープル&カルチャー領域の仕事で結果を残す

達成です...と言い切りたいところですが、この領域の成果は短期的に測るところが難しいところもあります。ただ、自分の中でこの領域での仕事のフェーズを以下のように定義していました。

  • フェーズ 1. カルチャーモデル設計 / 定常業務の標準化
  • フェーズ 2. カルチャーモデルに基づく制度設計 / 採用母集団の多角化
  • フェーズ 3. 継続改善

この内のフェーズ 1 は自信を持って出来たと言えると感じています。企業文化の設計と言語化を進め、組織規模が拡大しても大事にしたい価値観が変わらず継承されていく土台を築くことができたと思います。この言語化は組織風土などの抽象的なところから選考プロセスなどの具体的なところまで設計しきるのが肝なのですが、その両方をバランス良くすることができたのではないかと思います。設計をした一部の資料は外部にも公開しているので興味のある方はご参考までどうぞ。 → COMPASSの選考プロセス

こうした設計を進めるのと同時に定常業務の標準化の推進も行いました。この辺りの取り組みはnoteにも書いたのですが(例: ルーティンやオペレーションなどの定常業務をNotion、Asana、GASで標準化した話)、弊社のピープル&カルチャーは人事と総務を管轄する組織であり、多くの定常業務が存在します。これらを標準化して属人化を解消していくことで、弾力性のある強い組織となってきています。定期的に行っているエンゲージメントサーベイでもその効果が結果として定量的に現れているので、良い仕事ができたのではと自己評価しています。

 

以上が2022年の目標に対する結果です。富士山だけは残念な結果となりましたが、これも日程的な兼ね合いの問題で、代わりの行動がちゃんと出来ているので、個人的には楽観視しています。1年を通じて充実感もありました。この調子で2023年も良い1年にできればと思います。

 

2023年の目標

2023年は以下の3つを目標にしたいと思います。

  • 富士山に登る(リベンジ)
  • フルマラソンで4時間を切る
  • ローカルコミュニティと接点を持つ

富士山は前述の通りリベンジ目標です。今年に登った筑波山と大山はいずれも低山なので、少しは山に慣れたとは言え、3776mは自分にとってまだまだチャレンジです。運動をしている今のうちに登っておきたい。来年こそスケジュールと天候と体調に恵まれますように...!

フルマラソン4時間切りはこの中では不確実性が一番高い目標です。ランニングをしない方はこの難易度が想像しづらいと思いますが、フルマラソンに出場するランナーの内の上位約25%に入るレベルです。ちゃんと練習を積み重ねないと届くレベルではないので、怪我に気をつけながら頑張りたいと思います。

ローカルコミュニティと接点を持つというのは、実は2023年2月に神奈川県小田原市に引っ越す予定でして、そこで地場の何かしらの活動に関わっていけたらと考えています。小田原市は人口20万人を下回る地方都市です。これまでの東京暮らしとは変わって、人との距離感も変わってくるだろうと思うので、環境の変化をチャンスに自分の活動の幅を拡げられたらと考えています。

最後の目標については、仕事に関わることを掲げようか考えたのですが、やっぱり止めました。仕事では来年再びプロダクト開発の仕事をすることが決まっていて、会社がさらに成長をしていくためにボトルネックを吸収していくような立ち回りをより求められています。それはそれで職業人として発揮できるパフォーマンスが向上しているのを感じるのですが、これまでの経験やスキルの延長線上でやりくりしている感じもあり、会社の業績は好調なのですが個人としては若干スランプ気味です。そういうこともあって個人の意識としては仕事以外に目を向けるようにできればと考えています。※もちろん仕事は仕事で目標設定はします

 

終わり

というわけで、2022年の振り返りと2023年の目標でした。これを書いているのが2022年12月30日の夜なので、明日はもう大晦日で年越しです。新年早々に引っ越しをするので、東京での暮らしもラスト1ヶ月。引っ越し先は小田原市なので、東京圏内ではあるのですが、頻繁に都内に来ることは減ると思うので、やり残しがないように東京ならではのことをしておくつもりです。東京にお住まいの知り合いの方、タイミングがあえばぜひご飯も行きましょう。お声がけ頂けると嬉しいです。

さてさてそんなわけで2022年もこれで終了ですね。今年も多くの人に支えて頂いて感謝でいっぱいです。2023年も皆さんどうぞよろしくお願いします。良いお年をお迎えください。

 

 

 

 

30〜40代では積み上げた成功体験を壊すべきなのか?

先日35歳になりまして、ついに30代も後半戦です。歳を重ねるにつれて、考え方や時間・お金の使い方に変化を感じます。日々を順風満帆のように感じる一方で、このままで良いのだろうかと感じることもあり、なんだか複雑な心境の今日このごろ。この記事では最近よく考える「積み上げた成功体験を壊すべきなのか?」ということについてポエムを残しておこうと思います。

 

フルマラソンに初挑戦(そして途中リタイアしました...)
写真はかすみがうらフルマラソンの公式HPより

30〜40代で共通して訪れる心理的な不安定さ

この心境は、どうやら私1人に発生しているものではなく、ミッドライフ・クライシスや35歳問題と呼ばれる30〜40代特有の心理的な不安定があるらしいです。35歳問題というのは、村上春樹の「プールサイド」という短編で、主人公が35歳になったときに人生の折り返し点を曲がってしまったことを悟り、何不自由なく暮らしているはずなのに涙を流すという話から来ているそうです(超ざっくり)。

最近、批評家の東浩紀氏が改めて35歳問題について読者の質問に答えていました(2009年にクォンタム・ファミリーズという小説で扱っている)。一部を引用します。

30代から40代にかけての時期が、総じてなにか人生が閉じたように感じられる年代であることは確かです。そこそこキャリアを積み上げ、自分の限界がわかってくる。着地点の見通しもついてくる。それを安心や安定ととるか、それとも停滞ととるかはひと次第です

安定と挑戦、そのどちらを選択したとしても不満や後悔は残るのだと思います。それが人生というものなのでしょう。35歳というのは、そういう「どっちを選んでも正解ではない選択」に迫られ始める時期なのかもしれません。

 

ああ、まさに!という内容です。そう、そうなんです。20代の頃に挑戦を繰り返してきた結果、徐々に結果がついてくるようになり、先々が見通せるようになってきました。仕事でも大きな失敗は回避できるようになり、職業人としての日々が安定してきているのですが、「そもそもお前は安定した生活なんて欲するようなタイプじゃなかったじゃないか」という自問自答が頭の中に残ります。

 

周囲を見回してみると、同年代の友人から著名人まで、多かれ少なかれ同じような悩みを耳にします。例えば、先日何気なくYouTubeを見ていると、幻冬舎見城徹氏と編集者の箕輪厚介氏が同じようなテーマで会話をしていました。

 

冒頭からこのように始まります(2:30頃)。

箕輪「僕、36になったんですけど、60、70で定年、社会人として終わるとなるとちょうど折り返し地点なんですよ。」

箕輪「36ぐらいになると、そこそこ頑張ったり実績残したりすると、そもそもこのまま頑張ることに意味があるのかとか、金がこれ以上必要なのか、何を成し遂げたいんだとか。見城さんが35, 6のとき今の僕みたいな感じなのか、それともまだまだエネルギーに満ちていたのか、その辺の見城さんが35, 6のときの話を聞いて刺激を受けたいなあというのがあります」

箕輪氏と言えば著名な編集者ですが、そういう人であってもこのような悩みを持つんだなあと。それに対して見城氏は次のように話します(12:00頃)。

見城「すごい楽した仕事をしてたわけよ。で、俺、駄目になっているなあと思っていて、面倒くさい作家にはもう行かなくなっていたし。」

見城「勝手に動くのよ、すべてが。」

見城「それも圧倒的自分の努力で作り上げたものだけど、そんなものはいつも自分でぶち壊さなきゃだめなわけじゃない。」

見城「俺もう腐っていると思っていたから。一回自分をぶち壊さないとダメだと思っていた時期なんで...」

見城徹氏、35歳の頃に同種の悩みを抱えるものの、積み上げた成功体験を自ら壊して新しい挑戦を続けていけと。実際、見城氏は43歳で幻冬舎を設立し、様々な挑戦を続けていくのでさすがです。

 

結局は自分がどのように生きたいのか

最近僕はランニングにハマっています。これまで全くと言ってよいほど運動をしてこなかったのですが、だからこそ出来ないことが出来るようになっていく過程が楽しいです。今はフルマラソンの完走を目指して練習をしていますが、その先では4時間切りとタイムを狙って練習を続けるのも楽しそうだと感じています。こう考えると僕はやっぱり何か新しいことに挑戦するのが好きなんだと思います。

人生は選択の連続です。何かを選べば何かが手に入らなくなる。40歳前後は自身の人生で何が手に入って、何が手に入らないのかわかってくる時期と言えるでしょう。そして、積み上げた成功体験を壊すということはそれまでに手に入れていたものを手放すということです。残りの人生で新しい何かを手に入れられる確証はないので、それは勇気がいることなのかもしれません。ただ、残りの人生を、既に手に入れているもの、延長線上で手に入れられるものだけを守って生きていくことに、少しでも退屈さや不満を感じるようであれば、ここが人生における勇気の出しどころなのだと思います。

 

というわけで

正解のない問いをまとまりもなくだらだらと書き綴りましたが、僕の人生においては、成功体験を積み上げて崩す、これを繰り返すことで充実してくるのだと思います。大事なことは常に新しい何かに挑戦していくこと。これは仕事に限らず、スポーツなどの趣味も含めてです。まずは10月にエントリーしているフルマラソンで初めての完走を達成したいと思います。それでは。

 

 

 

 

 

2021年を振り返って

2021年も残すところ後2日です。2021年こそはコロナ禍が終わるのではと淡い期待を抱いていましたが、結局年末になってもコロナが続く1年でした。ただ、日本全体でワクチン接種が進み、感染者数も低い数値での推移に抑えられていたりと、年初の頃に比べると状況は好転しているように感じます。来年こそは...とまたしても期待してしまいますが、まずは2021年をしっかり振り返って1年を締めくくりたいと思います。

 

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早朝の外気浴 at ume, sauna 

2021年の振り返り

タイムライン

  • 2月   ... 個人開発サービスのサブスクリプション化 
  • 3月   ... ランニング始める
  • 5月   ... 北海道旅行
  • 6月   ... 勤務先の取締役に就任する
  • 7月   ...コロナウイルスのワクチン接種完了
  • 8月   ... 山梨県旅行
  • 9月   ... 放送大学始める
  • 10月 ... 関西サウナ旅
  • 11月 ... 初めてのトレイルラン

Input

昨年末のエントリーでは「何か新しいことを5つする」「本(もしくはMOOCsの講座)を24冊読む」「インプットに対するアウトプットを12エントリー書く」の3つを2021年の目標として挙げていました。

改めて目標を見てみて思うのは、一つ目の新しいことを5つという目標がひどく抽象的ですね...。目標設定当時は、コロナウィルスのワクチンもまだまだ不透明な状態で、物理的な活動が制限されているなかでどうにかマインドが保守的にならないようにと意図したものでした。

総じて、1年終わってみると良い1年と言えるものだったのではないでしょうか。1年の途中はそれなりに大変なこともあったと思うのですが、終わりよければ全てよしと言いますか、今日時点では幸せに日々を送れているので良かったことにしたいと思います。新しいことにもたくさんチャレンジすることができました。では一つずつ目標を振り返ってみたいと思います。

 

目標1. 何か新しいことを5つする

目標達成です。5つテーマがあるので、それぞれ見ていきます。今になって思うと、新しいこと5つというのは数が多かったです。なかなかボリュームのある内容になりました。

 

1-1. 個人開発サービスのサブスクリプション

もう3年前のことになりますが、Googleスプレッドシートガントチャートを自動生成するアドオンを作成していました。アドオンの詳細は以下で記事にしています。

有り難いことに、このアドオンが3万を超えるユーザー数になっており、せっかくこれだけ多くの人に使ってもらえているのであれば、一部有料にして機能拡張してみようと考えました。

結果として、「表示単位の変更」と「アサインの空き状況確認」の2つの機能を追加開発し、有料機能として提供を開始しています。一部のユーザーの方々はさっそく有料版にアップグレードして頂きました。ありがたや、ありがたや。

ただ、実はアドオンをGoogle Workspace Marketplace上で更新するときに、盛大にやらかしてしまい、全ての既存ユーザーに再インストールをお願いしなければいけない、かつ、インストール先のURLが変更になるという、とんでもない事故を起こしてしまいました。ご迷惑をお掛けしたユーザーの皆さま本当にすみませんでした。サービスを安定運用する重要さを改めて実感する大きな学びとなりました。。。

技術的な学びについては以下にまとめてあります。もしご興味のある人はどうぞ。

 

1-2. ランニングを始める

長らく運動不足が慢性的に続いていた私ですが、コロナ禍があいまって、より一層運動不足に磨きがかかってきていました。さすがにこれはやばいと思い、運動を始めることを決意しました。何をするか色々迷ったのですが、球技系は1人で始めづらい、格闘技系はジムに入会するのが人見知りの私にはハードルが高すぎるなど、自分の性格的にあまり選択肢が残されておらず、基本的に1人で全てが完結するランニングをすることにしました。振り返って見ると、この選択がとても良かったです。一人で淡々と走るというのが性に合っていたのか、1年を通じて継続することができました。

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ランニングのログ

ランニングを始めた頃は、8分/kmのペースで2km走るのが精一杯という感じだったのですが、今では5.30分/kmのペースで4~5kmを走れたり、6.30分/kmぐらいのペースであれば15kmまで走れるようになりました。着実に体力がついてきているのを感じます。

 

1-3. 勤務先の取締役に就任する

これはここ数年では一番大きな意思決定でした。株式会社の経営者になるのは2回目なのですが、一回目は20代前半の頃で、若さもあり、また株主も友人と自分の2人だけの会社で、勢いだけでやれているところがありました。ただ、今回は従業員数80名超、ユーザー数50万人と、ステークホルダーの数が以前とは大きく異なります。また、100%子会社ということもあり、親会社である株主に対しての経営責任もあります。覚悟を決めるまで時間を要しましたが、逆にこれだけ責任ある立場で仕事ができる機会は滅多にないと思い、取締役になることを決意しました。

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会社のホームページ

組織は成長を続ける以上一つ課題を解決すればまた次の課題と決して終わりがくることはありません。経営者としてそうした課題の一つひとつに向き合っていくことは易しいことではありませんが、充実した日々を送ることができていると感じます。会社のミッションである「新しい学びの環境を創り出す」ために邁進していきますので、関係者の皆さま引き続きよろしくお願いします。

 

1-4. 放送大学を始める

最終学歴が高卒ということもあり、大学というものにいつか通ってみたいと思っているのですが、今年は放送大学にチャレンジをしてみました。これまでCourseraやedxで大学の講義を受けたことはあったのですが、日本の the 大学な講義を受けるのは初めての経験でした。

ただ、残念ながら放送大学は途中で止めることにしました。欲張って講義を3つ取っていたのですが、仕事、仕事にまつわる勉強、個人の開発と、やることが盛りだくさん過ぎてさすがにきつく、放送大学は中間試験に合格したタイミングで中断しました。

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中間試験の結果

単位を取るところまでやり切るのがベストではありましたが、大学の講義がどういうものがよくわかったのは収穫でした。当たり前なのかもしれませんが、大学では単位を取得していくなかで様々な講義を受けると思います。その中には面白いものもあれば、あまり自分の興味がないものもあり、全てにモチベーション高く取り組むのは難しい印象を持ちました。独学に慣れている自分としては、その辺りがストレスになりそうで、将来の大学進学を考える上で参考になりそうです。

 

1-5. noteを書く

noteを本格的に書き始めました。元々文章を書くのは好きな方で、時々こうやってはてなブログを書いたり、noteを書いたりしていたのですが、仕事の情報発信も兼ねて本格的に始めています。2週に1度ぐらいで書いていくつもりなので、宜しければぜひフォローください!

 

 

目標2. 本(もしくはMOOCsの講座)を24冊読む

目標達成です。25冊の本と3つの講座に取り組みました。詳細はInputとして上述していますが、プロダクト開発、マネジメント、経営に関わることを中心に読み進めました。また、来年度は人事労務や総務の管轄をするということもあり、後半は人事系の本も読んでいます。

2020年まではソフトウェア開発のプロジェクトマネージャーをしていたことを考えると、もっと言えば前職以前ではビジネスサイドの仕事が中心だったことを考えると、環境が目まぐるしく変化しています。こうした変化を前向きに捉え、必要な知識を能動的に学ぶことが自分の強みの一つだと捉えているので、来年以降も読書は続けていくつもりです。

 

 

目標3. インプットに対するアウトプットを12エントリー書く

目標未達です。元々「インプットを強化する為にも学んだことを自分なりにまとめる」ということを目的にしていて、この本は特に深く理解したい本をまとめることはしていたのですが、その数が12に届きませんでした。なので、結果として目標未達ではあるのですが、自分として必要なことは出来ていたとは感じます。以下は今年一番の当たり本であった「問題解決の全体観 上巻」のアウトプットです。

 

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問題解決の全体観のまとめ

 

以上が2021年の目標に対する結果です。私は本当にお得な性格をしていると思うのですが、嫌なことをすぐに忘れてしまうんですよね。なので、こうやってこうやって振り返ると良いことばかりになってしまい、とてつもなく良い1年だったかのように錯覚してしまいます。色々苦労もしたはずなのですがほとんど思い出せない。まあ嫌なことは思い出さなくてもいいか・・・。

 

2022年の目標

  • フルマラソンを完走する
  • 富士山に登る
  • ピープル&カルチャー領域の仕事で結果を残す

以上の3つを2022年の目標にしたいと思います。ランニングが習慣として定着してきているので、より本格的に取り組む為にもフルマラソンの完走を目指します。正直、まだ15kmまでしか走ったことがない自分としては、42.195kmという距離に対する恐怖感があるのですが、何事もまずはチャレンジする気持ちが大事だと自分に言い聞かせて、4月のかすみがうらマラソンにエントリーしました。さて、一体どうなることか・・・。

富士山に登るというのも自分としてはマラソンへの挑戦に近い感覚のもので、人生の中で一回は登ってみたいと思っていたので、自分史上で最も体力がある今の内にチャレンジすることにしました。まともに登山をした経験がないので(中学生の時に龍之口山に登ったのが最後?)、今からドキドキなのですが山頂からの景色を楽しみに頑張りたいと思います。

最後は仕事の関係の目標です。ピープル&カルチャーは弊社の人事労務と総務を束ねるユニットの名称で、年明けから私がそのユニットを担当することになっています。バックオフィスの仕事をするのは約10年振りとかなので、一からしっかりと学び直し、成果に結びつけたいと思います。

 

終わり

というわけで、2021年の振り返りと2022年の目標でした。年が明ければ35歳になります。社会人人生の第2章と位置づけていた30代もあっという間に後半戦です。東京のスタートアップの仕事も色々と紆余曲折がありましたが、社会に対して価値提供ができる企業に成長してきていると感じます。30代の集大成として、しっかりと成果を残しつつ、40代をどのように過ごすかを少しずつ考え始めないとなあと感じる今日この頃。年を重ねる度に自分に出来ることが増えていくのが楽しいです。2022年も頑張ろう。それでは皆様も良いお年をお迎えください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新型コロナウィルスのワクチン接種によってコロナ渦の生活にどのような変化があるのか。

先日新型コロナウィルスのワクチンを接種してきました。第一回目が6/27(日)、第二回目が7/25(日)。抗体が完成するのは2回目接種から2週間が必要なので8/8(日)の予定です。コロナ渦においてワクチン接種は一つの大きなイベントです。現在の心境を文章に残しておきたいと思います。

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ワクチン接種の記録


ワクチン接種によって何が変わるのか(変わったのか)?

コロナウィルスのリスクは大きく以下の2つと考えてよいと思います。

  1. 自分自身が罹患し重症化してしまうこと
  2. 自分が媒体となり他者を罹患させて重症化してしまうこと

自分自身が罹患し重症化してしまうリスク

30代男性が重症化するリスクはそれほど高くなく、ワクチン接種とは関係なく許容してもよいレベルのものでした。

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厚生労働省 - (2021年7月版)新型コロナウイルス感染症の"いま"に関する11の知識より

しかし、数字として理解できていてもそこは人間。万が一重症化したら?軽症だったとしても実はそこそこ辛いらしいぞ?という気持ちはどうしても頭をよぎります。その不安がワクチン接種によって解消されました。

 

自分が媒体となり他者を罹患させて重症化してしまうリスク

この点については、まずワクチン接種が周りの人を感染をさせてしまうことを防ぐ効果があるか?という変数があると思っています。厚生労働省の新型コロナワクチンQ&Aの感染症専門医が解説! 分かってきたワクチンの効果と副反応 には以下の記載があります。

当初、mRNAワクチンは「発症を防ぐ」のであって感染そのものを防ぐかどうかは分かっていない、と言われていましたが、感染を防ぐ効果も分かってきました。

発症を防ぐことと、感染を防ぐことと、別に本人にとっては同じで何が違うのか、あまり大差ないのではと思われるかもしれませんが、ワクチン接種者が感染しにくくなる、ということは、接種者がその周りの人に感染を広げる可能性が低くなる、ということです。

 

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この情報だけを見て「やったぜ、ワクチンを接種したら完全に元通り!」というわけにはいかないと思いますが、希望の持てる内容です。さらにデータが溜まり、情報の確からしさが高まって欲しいところです。では、感染予防に対してまだ不確実性があるとしたときに、自分が媒体となり他者を罹患させて重症化してしまうリスクとどのように向き合うべきでしょうか。

 

周りの人達のワクチン接種率とリスク許容度は?

感染予防効果が不確実だとすれば、後は周囲の人がワクチン接種をしているか?ワクチン接種をしていない場合はコロナウィルスのリスクを許容しているか?が変数になると思っています。

私の周りで言えば、妻も二回目のワクチンを接種しました。また、妻の両親も同様に二回目のワクチンを接種しています。私は自身の両親とは疎遠で、他に重症化しやすい年代の家族がいないため、ワクチン接種によって家族周辺の人とは気兼ねなく会うことができるようになりそうです。

職場の仲間の接種率はまだそこまで高くなさそうです。また、職場という特性上、それぞれが考えるリスク許容度とは別の力学が働くことがありえるため(本当は嫌だけど上司が言うので出社した等)、職場では私がワクチンを接種したからと言って以前のように顔合わせて仕事をすることはまだ難しいと感じています。

一方で、友人関係のように本当は嫌だが断るに断れないということが起こりえない人については、その人がまだワクチン接種をしていなかったとしても、リスク許容度に応じて以前のように対面で会うことはできると考えています。対面を強いることはせず、その人その人でコミュニケーションの取り方を柔軟に変えていこうと思います。

最後に社会生活を通じて出会う人について考えたいと思います。例えば、買い物を行った先の店員さん、飲食店を利用したときに近くに座っている人などです。お店の利用者はそれぞれのリスク許容度に応じて行動をしていると考えてよいと思います。しかし、店員さんはリスク許容度とは別に生活の為にやむをえず勤務をされている可能性があり、そういう人に私が媒体となって感染させてしまうことは避けるべきことです。となれば、私のワクチン接種の有無に関わらず、マスクの着用や指先消毒などの感染予防対策は変わらず続けていくべきと考えます。

まとめ

ここまでをまとめると以下のようになります。

  • ワクチン接種をした人同士では気兼ねなく会うことができるようになる
  • ワクチン接種をしていない人でも、その人のリスク許容度に応じて、会うことができるようになる(=自身と家族周辺でワクチン接種が進んだため)
  • マスクの着用や指先消毒などの感染予防対策は変わらず続けないといけない

私ならび私の家族がワクチン接種をしたことによって、これまで極力外出自粛をしていた生活からは活動範囲が拡げられそうです。これはとても大きい。一方で、社会全体のワクチン接種率が高まるまではマスクの着用や指先消毒などの感染予防対策は続けていかなければいけないですね。

 

コロナ渦以前の生活にどこまで戻るのか?

活動範囲が拡げられるとしたときに、どこまでコロナ渦以前の生活に戻るのでしょうか。 コロナ渦は私の生活を大きく変えてしまいました。生活の基礎は衣食住といいます。私の衣食住は次のようになりました。

コロナ渦以前は週7で外食することも珍しくありませんでした。平日は仕事が遅くまであるので職場周辺の飲食店で済ませて帰宅。週末は身体の疲れを癒やすので精一杯で、UberEatsで済ませたり、家の近くの飲食店で外食することが多かったです。

現在は週7で自炊をしています。外食はまずしません。生協のパルシステムを取り始めて、定期的に自宅へ食材が届く環境を作りました。油ポットを購入し揚げ物を家でするようにもなりました。他にも、電子レンジを買い替えたりと、家の環境を充実させることによって、健康的な食生活を送っています。

以前のような外食中心の生活に戻ることは考えづらく、外食は楽しみの一つとして少し特別な存在になっていきそうです。

以前は職場への通いやすさが重要でした。乗換なしで行けるかどうか、座れるかどうか、といった具合です。平日は帰って寝るだけのことが多く、40~45㎡程度の1LDKに妻と2人で暮らしていました。

現在は職場への通いやすさの重要度は大きく下がり、自宅でいかに快適に過ごせるか?周囲に自然があって過ごしやすいか?などの重要度が高まりました。コロナ渦の生活になってすぐに1.5倍程度の広さの住居に引っ越し、自宅にいながら仕事が問題なくできる環境作りに注力しました。また、近くに河川や大きな公園などがあり、運動不足解消のために始めたランニングもとても充実しています。

総じて、コロナ渦以前よりもQOL(Quality of Life)は向上しているのではないでしょうか。これからも続けていきたいですね。

ここはコロナ渦の生活によって悪くなっているところですね。。髭を剃らずに過ごしたり、多少の寝癖は気にせずそのまま仕事をしてしまったりと、ズボラな感じになってしまっています。ワクチン接種によって活動範囲が広げられるので改善したいところ。オッサン化しないように清潔感を保っていきたいです。

 

終わりに

というわけで、ワクチン接種が終わった今時点の考えを書いてみました。総じて、非常に前向きな心境です。コロナ渦によって起こった良い生活変容は継続していき、逆に制限されている活動や悪くなってしまったところは今後改善していきたいと思います。私が働いている業界はコロナ渦によって活況になった業界なので、活動範囲を広げるとともにしっかりと消費をして経済的にも貢献をしていきたい。

人生で初めて体験した感染症。願わくばこれが人生最初で最後になって欲しいものです。

北海道の大地で少数民族について考える

先日北海道に行ってきました。コロナ禍の続くご時世なので、出発前の充分な外出自粛と出発後の三密を避けるのを徹底しつつ観光したのですが、非常に良い旅行になりました。今日は旅行中に感じたことをブログに残しておきたいと思います。

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北海道白老町のポロト湖

ところで、皆さんは"北海道"の名称の由来をご存知でしょうか。僕は「そもそもなぜ北海道だけ"道"なの?」程度の知識でした。ちなみに、名称についてググってみると、松浦武四郎という人が名付け人で、松浦武四郎記念館のHP に以下の記載があります。

「道名選定上申書」を提出し、その六つの候補の中から「北加伊道」が取り上げられます。「加伊」は、アイヌの人々がお互いを呼び合う「カイノー」が由来で、「人間」という意味です。「北加伊道」は「北の大地に住む人の国」という意味であり、武四郎のアイヌ民族の人々への気持ちを込めた名称でした。明治新政府は「加伊」を「海」に改め、現在の「北海道」としました。

同じような文章が函館の北方民族資料館にもありました。なんと北海道がこれほどアイヌと関わりの深い土地だったとは...。いや僕がただ無知であっただけなのですが、これには素直に驚きました。というか、そもそも日本に暮らす少数民族の人々にどれだけ自分が無関心であったかに気がつきました。そういう視点で北海道を旅行すると色々な気づきがあって面白いです。

例えば、テレビのニュース番組。記者会見をする自治体の首長がアイヌの文様が施されたマスクをつけています。穿った見方をすると、その方が好感度が上がり票が集まるということなのでしょうか。つまり、アイヌの文様に好感を示す人が投票者に多くいるからこそつけているのかなと。

その他、街の所々で北方領土の返還を求める掲示を目にしました。本州で生活をしているとなかなか目にしない光景です。しかし、北方四島が生まれ故郷で、国家間の領土争いによって強制移住させられた人々を考えると、その当事者が住む北海道では取り組む姿勢が違います。

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毎日新聞より - https://mainichi.jp/articles/20161217/ddl/k01/010/141000c

 

一方で、ここでアイヌに目を向けてみると、アイヌ樺太や千島で元々暮らしていたにも関わらず、日本とロシアの領土争いによって北海道へ強制移住させられた歴史もあるそうです。しかも、アイヌの人々も第二次世界大戦では兵隊として駆り出されていたんだとか。民族独自の信仰を持って大地の自然と共に平和に暮らしていたら、いきなり本州から人がやって来て、自分達の暮らしを取り上げられたらさぞ苦しかったでしょうね...。

それにしても北方民族のダイナミックさ。下記も函館の北方民族資料館の展示です。大きい大きいと思っていた北海道がちっぽけに見える。写真は自分で撮るのを忘れていたので他の方のものを引用させて頂きます。 

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さきち・のひとり旅より - https://bit.ly/33uPVlG

ちなみに、日本政府が公式に「先住民族」として認めているのはアイヌだけだそうです。以前に沖縄・奄美群島に旅行に行った際に、琉球民族に対しての仕打ち、そして沖縄での本土決戦の経緯を改めて学び、なんと残酷な歴史なんだと思ったものです。最近のテレビの風潮で、日本人は民度が高くという見せ方をすることが多いと聞きますが、日本人は自分達以外の民族に対しては結構自分勝手なところがありますよね。。

いま私は東京で住みやすいと感じることが多いです。中国やインドで外国人として暮らしていた頃と比べると雲泥の差です。しかし、その日本人としての、Majorityとしての住みやすさの裏には、Minorityの存在があることを忘れてはいけないですね。一個人として出来ることはそれほど多くはないですが、Majorityの人が困窮している場面に遭遇したらきちんと手を差し伸べる人でありたいです。

アイヌのコミュニティにも微力ながら何か貢献できればと思い、アイヌの着物を購入してみました。白老町にあるウポポイ(民族共生象徴空間)や札幌市内で探したのですが、結局販売しているところはなく、ネットで見つけた 北海道白老ねっと商店 でようやく手に入れました。アイヌの着物は背中の文様が重要だそうです。

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北海道白老ねっと商店より https://www.shop-shiraoi.net/?pid=112755475

カッコいい。これでリモートワークのWeb会議に参加してやるぜ...!?

広大な北海道。今度は道東や道北の方にも行ってみたいと思います。