初めて聞いたインド民話が興味深かったのでぜひ紹介したい

 現在edxというマサチューセッツ工科大学が主催しているMOOCで、Engaging Indiaというコースを受講しているのですが、その中のトピックに「インドにおける口伝民話」という内容のものがありました。それは講義と共に、インド人の教授が実際に民話をいくつか披露してくれるという贅沢なもので、また民話そのものが興味深いものだったので、ここで紹介したいと思います。※初めて翻訳をするので、細かいニュアンスを知りたい人はコースを受講することをお薦めします。

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サドゥと腰布

 

 サドゥとは、財産を捨て、家族と離れ、また妻を持つこともなく、全ての時間を宗教に捧げるヒンドゥー教の苦行者のことである。サドゥが唯一持っているものと言えば、腰布と小さいお茶碗ぐらいのもので、人々がそのお茶碗に恵んでくれたものを食べ、路上で暮らしていた。

 

 ある日、サドゥがその腰布を洗濯し、乾かしていると、ネズミが布に穴をあけているのを見つけた。これでは瞑想に集中することができない。サドゥは食べ物を恵んでくれた地元の人々にこう言った。「これを見てくれ。この辺りはネズミがいっぱいだ。私の瞑想の邪魔をするし、あげくに腰布に穴をあけてしまったよ!」地元の人々はこう答えた。「マハラジ(敬意を込めた人の呼び方)、猫を飼ってみてはどうですか?」そして、彼らはすぐにサドゥの元へ猫を連れてきた。

 

 猫が住み始めてしばらくすると、ネズミは途端に姿を消した。しかし、さらにしばらくすると猫も姿を消してしまった。そこへ偶然通りかかった地元の人々が、サドゥへこう尋ねた。「やあマハラジ、修行の方はいかがですか?」サドゥはこう返した。「猫がどこかへ行ってしまったから、もうじきネズミが戻ってきてしまうよ。」すると地元の人は言った。「マハラジ、猫にミルクをあげていましたか?」サドゥは言った。「私はこの路上で暮らしているし、それにそんな時間はないよ。」それを聞いた彼らはすぐにサドゥの元へ牛を連れてきた。

 

 牛はしばらく猫に乳を与えた。しかし、やはりもうしばらくすると牛は乳を出すことができなくなってしまった。地元の人々はこう言った。「マハラジ、牛の世話をちゃんとしていましたか?」そして、やはりサドゥはこう返した。「いいや、私に牛を世話する余裕はないよ。」それを聞いた地元の人はこう答えた。「マハラジ、あなたには召使いが必要だ。」そして、彼らはすぐにサドゥの元へ一人の男を連れてきた。

 

 召使いはよく牛の世話をした。牛が乳を出すので、猫は戻ってきて、ネズミもいなくなった。サドゥも瞑想の邪魔をされることもなくなった。しかし、上手くいっているように見えたのもつかの間、しばらくすると召使いが家に帰りたいと言い出した。サドゥは尋ねた。「どうして家に帰りたいのか?」すると召使はこう答えた「私には愛する家族がいるのです。」サドゥはこう言った。「お前がいなくなったら一からまたやり直しだ。家族も一緒にここに住めばいいではないか。」そして、召使いはすぐにサドゥの元へ家族を連れてきた。

 

 今度はサドゥの周りはまるで家族の団欒のように賑やかになった。やはりサドゥは瞑想に集中することができない。ある日、サドゥは召使いと彼の妻の様子を見ながらこう尋ねた。「召使いよ、いまお前は幸せか?」すぐさま召使いはこう答えた。「マハラジ、もちろんです。」サドゥはこう言った。「私は幸せではない。…私も結婚したい。」

 

 いかがでしたか。“You are what you read “という言葉がありますが、僕はインド人がこうした民話を聞きながら育つのかと思うと少し感慨深いものがありました。人間が人格を形成するまでに触れる情報源を辿っていけば、その国の人間性を理解できる気がします。日本人もアリとキリギリスを母親から聞かされて、我慢する素晴らしさみたいなものを幼少から植えつけられたりしますしね。