人生というゲームで、何のゲームをプレイするのか?

フルタイムで仕事をすることを辞め、大学生になって8ヶ月が経ちました。学業がメインで仕事がパートという現在の生活リズムにもすっかり馴染んできた感じがあります。一方で、「仕事の第一線を長く離れると、現場の感覚がわからなくなり、復帰することが難しくなる」、そんな話を聞くことがあります。そして、「仕事の人間関係がなくなり、また仕事を頑張っている友人とも話しが合わなくなり、孤立を感じるようになる」とも。まるで仕事を離れることは人生の充実度を下げることと同義であるかのような話です。

たしかに私も仕事の第一線の感覚が失われていくことに多少の寂しさは感じています。大学に通うということは、少なくとも4年は仕事から離れるということを意味します。そこで、このエントリーでは人生の充実さと仕事の距離感について考えてみたいと思います。

 

島根県で体験した石見神楽、室町時代から続く伝統芸能である

充実した人生を送りたい...!

これは私だけでなく、多くの人に共通する想いだと思います。一度きりの人生、充実しているに越したことはありません。では、どうすれば人生は充実するのでしょうか?SNSNetflixなどの娯楽ばかりに時間を使えれば充実するのかと言われれば、実は全然そんなことはなく、むしろ毎日Netflixを見ることはやがて苦痛に変わります。それに、生きていくには当然お金が必要で、仕事をしなければいけないし、歳を取れば健康維持のために軽い運動なんかもしなければいけません。様々な人間関係もあります。人生というのはそう簡単ではありません。

では、複雑な事柄について考えるときは、どのように考えたらよいのでしょうか?私は、自分で制御できないものは所与のものとして受け入れて、自身が制御できるものに集中して向き合うこと、が原則だと考えています。ちょうど今年読んだ 人生の経営戦略 という本が上手く言語化してくれていたので以下に引用します(この文章と図は人生というプロジェクトの基本原理|山口周 で公開されています)。

 

私たちはしばしば、人生を計画する際、他者や組織や社会など、自分ではコントロールできないものを動かそうとして、無用な努力を重ねてしまいます。本書ではこの愚を犯すことを避けるため、自分でコントロールできる戦略変数、すなわち「時間資本」にフォーカスを当てます。

時間資本を、良い学びを得られる「スジの良い学習」や、良い経験を得られる「スジの良い仕事」に投下することで、その時間資本は知識・スキル・経験といった人的資本に転換されます

人的資本が育ってくると、この人的資本が高い水準のアウトプットやパフォーマンスを生み出すことになり、これがやがて「あの人に仕事を頼みたい」「あの人なら間違いがない」といった評判や信用やネットワーク、つまり社会資本を生み出す

画像

ざっくり言ってしまうと、知識や経験があれば人間関係も資産形成も上手くいき、それらが総合的に人生を充実させてくれる、というロジックです。

私も人生において時間の使い方が非常に重要というのは完全に同意です。

 

人生というゲームは1面・2面の構成になっている

さて、ここからは本記事のタイトルにもある通り、人生をゲームに見立てて、人生の充実さと仕事の距離感について考えてみましょう。

私は人生というゲームは1面・2面の構成であると解釈しています。人生における最初のゲーム、つまり1面は、資本社会を生き抜くゲームです。現代の資本社会に生まれた以上は、金融資本を獲得して生活をしていくことは避けられません。その為の何かしらの資本を獲得すること、これこそが1面のクリア条件です。

このゲームはシンプルです。先ほど引用した「時間資本を人的資本へ、そして金融・社会資本へ」というサイクルは、まさにこの1面を効率よくクリアするための効率的な攻略法です。偏差値の高い大学へ行くこと、良い会社に就職すること、スキルを身につけること、これらはすべて私たちが教育を受ける過程で、無自覚のままに踏襲する、1面を有利に進めるための戦略の一部です。

ゲームがシンプルである一方、実は1面には非常に恐ろしい落とし穴が存在します。それは、意識して「クリア」しない限り、エンドレスにゲームが続いてしまうことです。下手をすれば「もっとお金があれば...」と、ゴールのないマラソンを走り続けることになりかねません。

もっとお金があれば...そう願う気持ちは私も理解できるのですが、人生というゲームには2面が残されていると考えれば、1面をある程度のところで切り上げて次に進むことはとても大事な判断です。なぜなら人生というゲームは金融資本を獲得するゲームでは決してないからです。別にリタイアして悠々自適に暮らせるほどの金融資本がなくとも、最低限のお金を稼ぐことの人的資本があるのであれば、もう1面をクリアして次に進むというのも、人生を充実にするための有効な攻略法の一つだと思います。

 

では2面は一体何のゲームなのか?

1面が資本社会を生き抜くゲームとシンプルだったのに対して、2面は非常に抽象的な設定です。なんと何のゲームをプレイするかはあなた自身が決めてよいです。ある人はここで家族との時間を最大限楽しむゲームをプレイするかもしれません。ある人は世界中を冒険するゲームを、またある人は地元地域の活性化というゲームかもしれません。またまたある人は1面のゲームを引き続きプレイしたいという人もいるかもしれません。

とにかくここで大事なのは、2面はあなたにどういうゲームにするのかの決定権があるということです。多くの人は、所与のゲームである1面を「人生そのもの」だと錯覚してしまっています。しかし、最低限の稼げるスキル(人的資本)、強い信頼感のもと支え合える人間関係(社会資本)、資産収入を得られる元手(金融資本)等、何かしらの方法で資本社会を生きぬく算段がついたならば、人生は次のゲームを始めてよいのです。

この2面の存在に自覚的であること、そしてあなたが選択したゲームに時間を投下すること、これこそが充実した人生を過ごす最大のポイントだと私は考えています。無自覚のまま、延々と1面をプレイすることを強いられていると残念ながら人生が充実する確率は低いのではないかと思います。

 

ここで仕事との距離感について

上記のように考えると、たとえ「仕事の第一線を長く離れると、現場の感覚がわからなくなり、復帰することが難しくなる」という指摘が正しかったとしても、「まあ仕方ないか」というのが私の率直な気持ちです。もし卒業後に再び働き始めたとして、職歴の空白期間によって転職活動に苦戦したり、以前のように稼げなかったとしても、私は人生で金融資本を獲得するゲームだけをプレイしているわけではないので、自身の決断の結果を前向きに受け入れたいと思います。私はどうしても大学が与えてくれる"自身の知的好奇心に寄り添って、経済的利益を度外視して思うままに学ぶ"というゲームをプレイしてみたかったのです。

 

最後に

というわけで、私は大学生になって以来、仕事の第一線の感覚が失われていくことに、多少の寂しさは感じつつも、それもまた人生であると前向きに受け入れています。むしろ本当はもっと学業にコミットする時間を増やしたいぐらいです。この選択がどういう結果を導くのかはわかりませんが、不確実性を伴う人生のゲームを今後も楽しんでいきたいです。