Starting Business as Ordinary
なんとなく英語のタイトルにしましたが、本文は日本語で…。苦笑 しかし、そろそろ英語のブログにも挑戦しようとは考えています。まあ、そちらはぼちぼちで進めていくつもりですが。
さて、Starting Business as Ordinary ということで、このエントリーでは ”日常としての起業” というものを考えてみたいと思います。
僕は6月からある海外プロジェクトに参加しているのですが、海外での就業経験が積めるということもあって、とても充実した日々を送っています。ただ、このプロジェクトの参加条件に「いまの仕事を辞めること」「8ヶ月間の有期雇用契約」というものがあるため、参加しているメンバー全員が8ヶ月後の無職が確定しています。なので、「このプロジェクト後にいったい何をするのか?」というのは自然と話題になることが多く、その答えはメンバーによって千差万別です。
このプロジェクトが終わったら起業ですか?
最近は色んな人からこの質問をされることが多いです。そして、それに対して僕は「まだわからない」といつも答えています。”起業を考えていると口にする人は、実際には行動へ移さない。本当に起業する人は口にする前にもうしている” とよく言われますが、これに従えば僕も起業をしないタイプなのかもしれません。たしかに、0からビジネスを作るのは大変なことで、できることならご遠慮願いたいのは事実です。しかし、起業という行為そのものは、皆がもっと身近に感じなければならないと僕は考えています。
これまで”起業”という言葉を使いましたが、これは会社を設立するということだけを指しているわけではありません。ここでの定義は、”ビジネス上での組織への依存から脱却し、個人として独立すること”として捉えて頂けたらと思います。
ところで、雇用解雇の規制緩和をするべきか?という議論がありますが、僕はもっと雇用を流動化させるべきだと考えています。日本には、就職することを重要視する考え方があり、なかには就活浪人をする人もいるほどです。しかし、もっとも重要なのは、就職してからどのような成果を残したか?であることに間違いありません。給料はその成果への対価であって、ここのバランスがとれていないとお互いにとって不幸な結果を生みます。どんな会社であれ無意味に高い経費は払いたくありませんから。
そこで必要になってくるのが、個人と法人が雇用契約を結んでいるという認識です。労働契約法のなかに「労働契約は、労働者及び使用者が対等の立場における合意に基づいて締結し、又は変更すべきものとする。」という文言があります。我々は対等な立場から会社に対してなにかしらの価値を提供しているのです。繰り返しますが、給料はその対価です。ですから、対価が割りに合わないと感じれば、違う会社に提供するのも自由ですし、価値あるものが提供できないのであれば給料が下がってしまう可能性もあります。それはごく自然なことであって、いったん雇用されると解雇されないことや、昇給はあっても減給がないことのほうが不自然であることをもっと自覚するべきだと僕は思います。
僕がもう一度起業するかどうかはまだわかりません。ですが、いずれにせよ仕事をする以上は、どんな立場であっても自分の専門性を高めて価値を提供し続けなければなりません。そうでなければ、対価が発生することはありませんから。
しかし、それは僕の持論であって、現実論としては日本人の労働観が急に変化することはまずありえないでしょう。もし変わるにしても相当の時間と外圧が必要になるはずです。ただ、おそらくその時には大きな痛みが伴います。なので、それに耐えられるための準備は欠かさずにしておいたほうが無難だとは思います。そして、その準備のひとつが「個人として独立している感覚を常に持つこと」だと思います。いまは起業することや、フリーランスになることが特別なことのように捉えられていますが、実際は別に大したことではありません。サラリーマンが起業したり、フリーランスがサラリーマンに戻ったり、そんな風に個々の働き方がより多様化すれば、きっと社会はさらに面白くなると思います。
尚、もっと起業が日常化すればいいのに…そんな想いを込めて、タイトルをStarting Business as Ordinary としてみましたが、これが英語として正しいのかは一切保証しませんので悪しからずw