2012年を振り返って

2012年も残りわずかとなりました。僕は仕事納めが12月28日で既に終わっており、後はこのエントリーで一年を総括し、新年を迎えようと思います。

 
 
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岡山県の山中にある岩石
 
 
さて、僕にとって2012年は「再出発」となった一年でした。少しだけ自分がどういう人間なのかを知ることができて、足りない部分を補うべく行動に移すことができたと思います。
 
これまで一年を振り返るときは、手帳を読み返しながらすることが多かったのですが、今年は手帳を一切使っていません。また、ノートを使うことも殆んどありませんでした。手帳の変わりにiPhone、ノートの変わりにPC、情報収集にはインターネット、と今までアナログとデジタルが半々だった僕でしたが、一気にデジタル化が進んだ一年でもありました。
 
デジタルは便利ではありますが、時に残酷なものです。記憶をもとに一年を振り返ると情緒的な要素が含まれますが、過去のブログやTwitterをもとに振り返ると現実しかありません。正直に言えば、直視したくないものも多々あります。しかし、現実を受け止めないと前に進めないのもまた現実。全て呑み込むしかありません。
 
 
 
この一年で僕はひどく世間に影響されやすい男なのだと気づきました。もしかすると、僕のことが「自分の意見を持った人間」のように見えている人もいるかもしれません。しかし、それは事実ではありません。僕は自尊心が強いタイプの人間で、反射的に世間の逆張りの意見を主張する節があります。それは過去のTwitterを見ていると明白で、きっと僕の心の奥底に「俺は多くの人と違って特別な男なんだ」とでも叫びたい本音があるのでしょう。その結果、「世間とは異なったことを言うが、実は世間に影響を受けているだけ」という自分がいます。
 
もちろん誰からの影響を受けない人生なんてあり得るはずもなく、そんなものはつまらない人生です。ここで僕が言いたいのは、自分という"芯"を持って物事を捉えられているのか?ということです。自分という人間が、なにへ喜怒哀楽を感じるのか、なにを大事にして生きていくのか、そんな一つの"芯"を持つことが、経済的な裕福よりも、人生を実りあるものにしてくれるはずです。また、逆説的に言えば、その芯が経済的な裕福をもたらしてくれるのだと思います。
 
こうした自分なりの哲学は、勝手に身につくことは当然なく、多くのインプットや多くの思考によって身につくものだと思います。僕は2012年半ばから語学と歴史の学習を始めたのですが、そのほんのわずかな手応えを感じることができました。社会に学びはありません。学びがあるのは大学までです。社会では"学ぶ"という能動性があって、はじめて何かを身につけることができます。自分の未熟さと学ぶことの重要さに気づけたことは2012年の大きな大きな収穫でした。具体的に得たものを表せないのが心苦しくはありますが、自分としては満足できる一年ではあったのでひとまず良しとしておきます。
 
 
 
…ここまで長文にお付き合い頂きありがとうございました。(いつもブログの締めくくり方に悩む…)2013年も決して今の自分に満足することなく、常に学ぶ姿勢を持って毎日を送ろうと思います。
 
それでは、みなさま良いお年を。