震災から6年半、福島県浪江町の様子(2017年9月)

福島に行くのは、僕が高校生のとき以来なので、かれこれ約15年振りでした。震災があってから、ずっと行きたいと思っていて、ようやく週末の3連休を利用して行くことができました。非常に印象深い旅行になったので、備忘録としてブログにも残しておきたいと思います。 

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まず基本的な情報に触れたいと思います。浪江町から福島第一原子力発電所への距離は、最も近いところで約4km、浪江町役場までは約8kmです。東日本大震災当時の人口は約21,500人。原発の事故によって、町全域に避難指示が出されました。それから6年、2017年3月31日に一部地域を除き避難指示が解除されています。しかし、5月31日時点の居住人口はわずか234人。避難指示解除前に実施した住民の帰還意向調査では、「まだ判断がつかない」が全体の28.2%、「戻らないと決めている」が52.6%という結果が出ているそうです。

さて、そろそろ町の様子に移ります。私は、東京から新幹線で福島市へ向かい、そこから高速バスに乗って南相馬市原ノ町駅、そして、JRで10時ごろに浪江町へ入りました。JRも避難指示解除に伴って運行が開始されています。

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ちなみに、南相馬市原ノ町駅から浪江町に向かう乗客は僕一人でした。ダイヤは1日5本です。

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 浪江駅からの風景。いたって普通の町です。人気がないことを除いて。

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電車で来たので当日は徒歩移動でした。町内に一般のバスやタクシーはまだありません(※浪江町民はデマンドタクシーというサービスが利用できる)。町役場を目指して歩きます。

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 建物は震災当時のままのよう。

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町が少し緑に飲み込まれています。

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写真を撮りながら20分ほど歩いて町役場に到着。実は、本当の目的は、町役場ではなく、その隣にある「まち・なみ・まるしぇ」。これは復興に向けたシンボルとして、2016年10月にオープンした仮想商店街です。飲食点、ホームセンター、コンビニなどがお店を構えています。

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BGMにJazzがかかっていてとてもいい感じでした。残念ながら日曜日ということで、殆んどが閉まっていましたが...。「日曜日に浪江で営業しているのはうちだけ」と笑顔で迎えてくれた喫茶店「COSMOS」でランチをとって、沿岸部を目指します。

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のどかな道。その中に、急に現れる非日常。光の関係で見えづらいですが、数値は0.083です。

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海。ここから津波が来たんだなあ。

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↑この写真は、請戸橋で撮影したものです。請戸は、震災前は人口1800人の漁師町だったそうです。しかし、現在そこにあるのは大きな原っぱでした。

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一軒だけ残っていた住宅。

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高台から見た様子。遠くに見えるのが小学校跡でしょうか。津波の恐ろしさを実感します。

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まだまだ続く、復旧作業。

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以上です。私はこのあと17時30分まで滞在し、JRの代行バス浪江町を離れました。実は、浪江から南は今も電車が運休中で、バスを使わざるをえないのです。また、バス内では常に放射線量を計測しており、帰還困難区域を一部走行するため、窓を開けないように注意を受けました。

原発や税金の議論はさておき、事故から6年半経ち、現実として今もこのような状態の町があることは、もっと認識すべきことのように思います。実際、僕もようやく自分の目で見ることができて、色々と考えるところがありました。折を見て、再訪したいと思います。