読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

起業からの4年間を振り返って

 このエントリーは2013年3月に書いて、そのまま下書きに眠っていたものです。当時なぜ公開しなかったのか?…もうその時の心情をはっきりと覚えていませんが、1年半が経ち、すっかり存在を忘れたいま、偶然見つけたのであらためて公開しようと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 前回のエントリーでご報告させて頂きましたが、もうじき経営者としての時間は小休止となります。またいつか奮起して起業する日もなきしにもあらずですが、しばらくは先になることでしょう。これまで18歳からガムシャラに働いてきましたが、特に起業してからの4年間は第二の青春とも言える充実した時間でした。このエントリーでは、取締役に就任してからの自分を総括してみようと思います。

f:id:takuya0206:20130304174050j:plain※現在の事務所。創業時と比べると雲泥の差だ。

 

 私は自分たちを”ベンチャー企業”と称するのに抵抗がありました。それはベンチャーを「先進的な技術・発想で革新に挑む」と定義した場合、自分たちがそれに相応しいと断言できなかったためです。

 事業の段階を表すときに「0から1、1から100」という言葉がよく使われます。私はこれを「0から1=売上100万/月、1から100=売上1000万/月」ぐらいの規模感だと捉えています。いまの会社の状態は「0から1は達成して、ようやく1から100の後ろ姿が見えたところ」といったところでしょうか。ここに至るまでに、お世辞にも革新とは言えないことを数多くやりました。起業の現場は、クリエイティブという言葉とは程遠く、きわめて泥臭いものです。そうしたところが自らを”ベンチャー企業”と名乗れない歯がゆさに繋がっているのだと思います。

 そういう意味で、私はベンチャーとしての総括をすることはできません。しかし、起業(=業を起こす)したことや、それを0から1まで育てたことについては、第一線で戦ってきましたので、それなりに意味のある総括になるかと思います。実際の事業をふまえて一つひとつ振り返っていきますので、おそらく長文になりますが、ご興味のある人は読み進めて頂ければ幸いです。

 

 1.起業ありきの出発

 私は起業したときに「この事業で世の中を変えたい!」といった志は持ち合わせていませんでした。どちらかと言えば、「サラリーマンの組織から抜け出したい!」という邪まな気持ち?のもと、勢いで起業してしまったタイプの人間です。なので、いざパートナーとの初めての打ち合わせは「なにをやろうか?」というものでした。

 若者が”ゆとり世代”と叩かれやすい現代ですが、逆に私のような勢いだけのタイプは”意識の高い(笑)”とこれまた叩かれます。なんとも世知辛い時代ですが、私の実感として勢いだけの出発ありだと思います。もちろんリスクはありますが、就職浪人などをして立ち止まっている状態よりは遥にリスクは低いです。

 実際に私たちがどうしたかと言うと、当時22才の若者2人に優れたアイディアがパッと浮かぶわけもなく、ただただ困っていました。そうしていたところに、知り合いの会社からあるサービスの代理店をやらないか?と声をかけられます。とりあえず勢いだけはあった私たちは、その話に乗っかることにしました。

f:id:takuya0206:20130314151306j:plain

 

 それがこのサービスです。いまでは全国展開されており、運営会社も”ゲーミフィケーションを人事評価に導入した企業”と注目されています。しかし、2009年時点では、まだまだ売り出し中の企業の一つで、京都進出の際に代理店を募集されていたようです。

 私は意気込んで営業活動に望みましたが、なんと一ヶ月間で契約は2店舗しか取れませんでした。「このままではまずい!」という焦りはありましたが、取れないものは取れません。それまで個人宅営業しか経験していなかった私は、飲食店や美容店のニーズが掴めておらず、はっきり言えば世間知らずでした。また、上請けとの契約は「反響をベースにした成果報酬」になっており、掲載決定時の売上はわずかなもので、長期的にキャッシュインを見込むタイプのものになっていました。つまり、能力的にもビジネスの枠組的にも勝算はなかったのです。

 やはり取り扱いの前に、しっかりと契約内容を把握すること収支の計算を立て根拠に基づいた目標設定をするべきでした(太字にするまでもないですが…)。当時はそんなことにも頭がまわらず、起業して初めての挫折はすぐにやってきたのでした。しかし、こうした挫折から人は成長していくものです。そして、挫折は行動がないと生まれることはありません。そういう意味でも、まずスタートすることは非常に重要だといえます。

2.キャッシュフローの重要性

 そうして私たちが成長している一方で、資本金は喰いつぶされようとしていました。当然、自分たちの給料などありません。会社で使う備品、郵送代、全てが私費でした。私は貯金でやりくりを、パートナーは当時学生であったため奨学金で飯を食っていた状態です。とにかくお金が必要でした。ここで「投資家に画期的な事業モデルをプレゼンして資金調達を…」となるのがベンチャー企業ですが、私たちにそんな事業モデルはありません(この時点で僕はパワポすら使ったことがなかった)。しかし、お金は必要です。”キャッシュフローが早く、技術もいらず、初期投資もいらないサービスはないか?”このテーマを大上段に掲げ、私たちはファミレスで徹底的に議論しました。そして、次ぎに始めたのがこれです。

f:id:takuya0206:20090329114627j:plain

f:id:takuya0206:20081109194736j:plain

 

 移動式屋台 ”焼き栗”の販売です。その場で現金収入があって仕入は翌月末払いとキャッシュフローは抜群でした。また、加工済みのものを保温して販売するだけなので、技術の差がなく、複雑な申請を出さなくていいのも利点でした。たしか初期投資は5万円程で済んだはずです。近所のホームセンターで買いそろえ、自分たちで組み立てました。写真手前にある立派なせいろ(=蒸し器)は、組み立ての様子を見ていた近所の人が「面白そうだから譲ってあげる」と無償でいただいたものです。当時はそんな些細な出来事を”流れがきている”と感じていました。

 こうして出来上がった屋台を、観光地まで引っ張っていき販売活動を行います。屋台は販売場所が全てです。公共の場(道路など)であれば、警察の許可が必要なのですが、この許可は降りないだろうと見込んだ私たちは、私有地で販売する作戦を取りました。焼きあがった栗を片手に土地の所有者に挨拶にいくのです。その決まり文句は「私たちまだ学生で、どうしても学費を稼がないといけなくて…」でした。 崖っぷちでしたので、使えるものはなんでも使いました。私は前職ではそれなりにチヤホヤされる立場にあったので、多少のプライドもありましたが、この焼き栗の販売はいつか会社が大きくなったとき、良い酒の肴になるはずだと思い込んでモチベーションを維持していました。

 焼き栗は原始的なサービスなだけに、知識はないが勢いだけはある若者との相性が非常に良く、開始直後から上々の売上を残してくれました。1日の売上が5万円を超える日もありました。さらに利益率が高いこともあって、ここでようやく会社にお金が貯まるようになります(しかし、まだ給料は出ない)。ただ、花見のシーズンが終われば観光客は減り、気温があがるにつれて売上は減少していきます。結局、焼き栗は6月まですることになるのですが、代わりとなる収入源が早急に必要で、売上がつくようになっても問題がまだまだ山積みの日々を過ごしていました。

 ちなみに、私はこの焼き栗を通じて数字の感覚を掴みました。栗を3~4粒ほど焼き損ねると、当たり前ですが品数は減少します。そうなれば、終わったときの粗利率が通常よりも悪くなります。これは試食を提供しすぎても同じことです。粗利率が低いと利益が残りませんので、結果として自分たちを苦しめることになります。たった栗の1粒のロス、これがどういうゴールに繋がっていくのか?このことを理解できたことは非常に大きい糧になりました。後に1000万を超えるような数字を扱うときに、全く困らなかったのはこの経験あってのものだと思います。1円でも1万でも100万でも同じお金です。”売上を最大化して、経費を最小化する”やはり経営はこれに尽きます。…焼き栗と言えど侮れない仕事です。みなさんもぜひお試しあれ。

3.プライドは1円にもならない

 何としても売上が必要だった私は、前職時代の上司と取引きに連絡をしました。 「サラリーマンの組織から抜け出したい」と会社を飛び出した人間がどのツラさげて…そんな悔しさはありましたが、個人のチッポケなプライドは1円にもなりません。前職と全く同じ商売を自分の会社でもさせてもらえるように頭を下げて頼み込んだのでした。

f:id:takuya0206:20140623225325j:plain

 

 それがこちら、ブロードバンドの代理店業です。当時は終盤ではありましたが光ファイバーへの過渡期でもあったので、売上も悪くなく、ようやく会社の経営も安定してきました。この辺りでようやく自分の給料を払えるようになります。今でもその金額を忘れることはありません。額面にして12万円。…たったの12万円?という感じですよね。その"たった"を稼ぐことが本当に大変なんです。

 会社は設立から3年で3割が倒産してしまうと言われます。所感としては、プライドを捨てきれない経営者が会社を潰してしまうのかなと思います。もちろん会社の哲学は重要です。私たちは「常に誠実であろう」というのが指針の一つでした。だからどんなに困ってもグレーゾーンにだけは手をつけることはありません。しかし、その哲学以外は全て投げ出す覚悟がきっと必要なのだと思います。やっぱり "無駄なものは1円でも高いし必要なものは100万でも安い” は正しくて、必要か否かをその哲学にそって判断していくべきなのだと思います。それでも会社が倒産する場合は、残念ながらその哲学が社会に求められていないということでしょう。

 

4.自社サービスとの奮闘

 私たちが自分の給与を最小限にしていたのには理由がありました。それはいち早く自社ブランドのビジネスに挑戦したかったからです。紛いなりにもベンチャーと銘打っている以上どこかの下請けに甘んじ続ける訳にはいかんだろう、そんな気持ちが強くありました。
 資金力に乏しい私たちは、持っている強みを活かしニッチを突こう、とにかくそのことばかり考えました。そして私たちの強みはやはり「若いこと」です。バカみたいな結論ですが、こちらは至って真剣です。経験や技術がないので持ち合わせで勝負するしかありません。若いことを「若い=若者の気持ちがわかる=若者の集客が出来る」と言い換えて、高校生向けの広告事業で勝負することに決めました。

f:id:takuya0206:20140622203550j:plain


 フリーペーパーINST、記念すべき最初の自社サービスです。フリーペーパーは設置場所が命、それがどういう人にどれだけ読まれるかを決めます。私たちは他社との差別化を図るため学校内に直接設置や配布が出来ないか?と考えました。校内にあることは公的なイメージを持つので広告の付加価値にもなります。しかしだからこそ、なかなか許可の降りない校内設置、なにかしらの策が必要です。そこで、誌面内にインタビュー記事を企画し、某府知事へ打診することにしました。「公立高校へ設置が"検討"されている」ということで知事には快諾して頂き、「知事のインタビュー記事が掲載される"予定"」ということで公立高校からは設置の許可が降りました。第一号目で設置の実績が出てからは、どんどん拡大を図り、あっという間に関西圏の1000校強の学内にフリーペーパーを設置することができました。
 
 順調に感じたのも束の間、設置校増加にともなうコストに広告収入が追いついてきません。にも関わらず、これからはモバイルの時代だと専用SNSをオープンさせました。「それなら最初からモバイル一本勝負だろ」と盛大にツッコミたいところですが、若気の至りか私たちはイケイケでした。そして、あえなく失敗…。しかし、経営に響くようなダメージを負う前に、撤退へと踏み切ったことは英断であったと思います。経験がない以上、やってみないと分からないことばかりです。それは仕方がない。ただ、やってみて分かったのであればスピード感を持って判断をする、それが重要なのだと思います。
 

5.社内の組織化の難しさ

 自社サービスを一時撤退することにしましたが、その間も代理店業は順調に成長しており、年商は数千万規模に、初の新卒採用を実施するなど、それなりに会社は大きくなっていました。ここで一つの決断をします。それは、私が現場を離れ、財務や労務といった社内を向いた管理業務に集中していくというものです。管理会計、人事評価制度、就業規則の導入など、会社が組織として機能する為のものをどんどん取り入れていきました。

 正直に言えば、今でもこの判断が正しかったかどうかは分かりません。会社は、新規事業チーム、代理店業チーム、管理業務チームの3チーム体制となり、たしかにそれらしくなりましたが、営業現場で戦っている社員と距離間を感じることが増えました。新規事業チームは会社の根幹として、代理店業チームはキャッシュの要として、それぞれが強い責任感を持って行動してくれているなかで、後ろから偉そうに口だけ出すバックオフィスの人間はさぞ疎ましいものだったでしょう。また、他のメンバーを信頼して大人しく見守ることが出来ない未熟さが自分にもありました。

 …そして今に至ります。結果として、新たな自社サービスは単体で年商千万単位の規模となり、代理店業は今も変わらずキャッシュを捻出してくれています。また、会社組織はいつ税務調査が入っても問題なく対応できるぐらいに組織化しました。しかし、冒頭に書いた「1から100=売上1000万/月」のラインを達成することは出来ませんでした。その原因は、やはり自らのマネージメント能力にあると感じています。創業時の会社には、なんとも形容できぬ勢いや一体感があり、多少の問題なら跳ね除けてしまうものです。ただ、時が経つに連れて、また新たなメンバーが入るに連れて、それは効力を失い、経営者の真の能力が試されます。悔しいですが、私はまだそのレベルには至っていなかったということでしょう。
 

6.まとめ

 本当は新たな自社サービスや、独自の管理会計、人事評価制度などにも触れたかったのですが、これらは現在も会社が関係しているものなので自重しておきます。

 さて、はたして私はこの4年間で自分の責務を全うできたのでしょうか。もっと上手くやれたかもしれない…そんな想いが頭を離れません。結局のところ会社は人です。いかに人を集めるか、いかに人を活かすか、いかに人に楽しんでもらうか、そんな枠組みを創るのが経営者の仕事のはずです。しかし、管理業務にシフトしてからは「いかに会社らしくするか」ということばかり考え、人を見ることを忘れてしまっていた気がします。

 起業すること自体はとても簡単です。登記さえすれば誰だって社長になれる。しかし、取引先を持つ、社員を雇う、それらには非常に重い責任が伴います。自分の決断が人の人生を変えてしまうことも充分にありえます。その事実を経営者は片時も見失ってはいきません。恥ずかしながら、私は自分本位の人間なのかもしれません。自分で始めた会社を途中で降りることは、その責任を放棄しているのではないか、またそのことを考えること自体が、自分本位になっている証拠ではないか、終盤はモヤモヤとそんなことを考える時間が増えました。

 まもなく全てが終わります。振り返ってみると、思い出されるのは創業期のてんやわんやしていた頃のことばかりでした。あの"熱"を継続させること…やっぱりそれが全てだったのかなあ。おっと、このまま繰り返しになりそうなので、ここで筆を止めたいと思います。この4年間、関係者の皆様には本当にお世話になりました。この感謝の気持ちを忘れず、新たな道でも頑張っていきたいと思います。ありがとうございました。