ああ素晴らしき学歴社会

”賢い人と愚かな人の違いは、学ぶか学ばないかによって出来上がる。

世の中には、難しい仕事もあるし、簡単な仕事もある。難しい仕事をする人を地位の重い人と言い、簡単な仕事をする人を地位の低い人と言う。およそ頭を働かせてする仕事は難しく、手足を使う仕事は簡単である。だから、医者・学者・政府の役人・大きい商売をする町人・たくさんの使用人を使う大きな農家などは、地位が重く、重要な人と言える。

社会的地位が高く、重要であれば、自然とその家も富み、下の者から見れば到底手の届かない存在に見える。しかし、そのもともとを見ていくと、ただその人に学問の力があるかないかによって、そうした違いができただけであり、天が生まれつき定めた違いではない。

つまり、人は生まれたときには貴賎や貧富の区別はない。ただしっかり学び、物事をよく知っている者は、社会的地位が高く、豊かな人になり、学ばない人は貧乏で地位の低い人になるということだ。”

  

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

 

 

”学問のすゝめ”の講義を聞く機会がありました。これが明治4年に日本で起きたメリトクラシー宣言になるそうです。また、メリトクラシーとはこのような意味です。

 ”実力主義能力主義社会、学歴社会。能力や努力の結果としての業績(メリット)を基準にして、社会的地位が決定する考え方。またそうした考え方が基盤となる社会。近代社会の構成原理の一つ。”

 恥ずかしながら学問のすゝめを読んだことがなかったので、江戸時代まで続いた武士を中心とした身分社会に対して、人はみな生まれながらに平等であり、身分でなく能力(=学問)によって格差が生まれるべきであると、唱えた福沢諭吉に思わず興奮を覚えました。

 

私は今まで勉強というものをしてこなかった部類の人間です。なので、はっきり言えば、”学歴社会”というものが嫌いでした。「なぜ5教科を中心とした受験なんだ。体育や音楽といった教科をもっと重視すべきでないか。」「学力で人が判断できるものか。その人となりで判断すべきだ。」と、そんな風に考えていました。しかし、「学力こそが身分に左右されない一番の平等な指標である」、「その人となりは簡単に変わらないが学力は努力で変えられる」と言われて、ようやく考えが改まりました。

 ところで、今の社会には”コミュニケーション力”と呼ばれるものを重視する風潮があります。就職面接では「サークルで副代表を務めていたので、コミュニケーション力には自信が…」と、みんなが口を揃えているし、企業側はコミュニケーション力がなければ不採用にすることは日常的です。では、そもそもコミュニケーション力とはいったい何なのでしょうか?人を気遣えること?自分の意見を上手く表現すること??相手の話を丁寧に聞くこと???……違います。暴論かもしれませんが、コミュニケーション力とは、”容姿”であり”若さ”です。

20代でコミュニケーション力や行動力を評価されて今を活躍している人も多くいると思います。しかし、”容姿”や”若さ”は年とともに衰えますし、下の世代がライバルとなって次々に現れます。「外見だけの女・男は歳をとれば目も当てられない」なんて言いますが、”容姿”や”若さ”がトップであり続けることはありえません。いつか必ず下の世代に追い抜かれます。

 

 

 これが恋愛であれば、”優しさ”、”包容力”などを武器に戦えばいいのですが、ビジネスではそうはいきません。優しいだけのビジネスマンなんて腹の足しにもなりません。

  社会で戦い抜いていくには

 

「物事を考え、理解し、判断する能力」

「 比較、抽象・概念化、推理などによって、感覚的なものを認識まで引き上げる能力」

 

 いわゆる ”知性” がもっとも重要であると私は考えます。そして、この知性は学問でこそ身に付く能力です。それが「法学」「経済学」「スポーツ学」でも何だって構いません。それに今は時代が変わりました。「プログラミング」などのITスキルを自学して社会に出る人もいます。いずれにせよ、ひとつの分野に自分を没入させることは、自身に大きな成長を与えます。

 

世の中は理不尽さに満ち溢れています。生まれながらに金持ちな人や、コネで良い就職先に恵まれた人、誰もが羨む容姿を持つ人、そんな人々を見ると「なぜ私はこんなにも運が悪いのだろう?」と、感じることもあるでしょう。ただ、それらは短期的なものでしかありません。相続した財産もいつかはなくなりますし、コネは一度でも信頼を裏切るとすぐに失います。結局のところ最期に残るのは、その人が持つ知性ではないでしょうか。… 私は現在25才です。もしかすると勉強を始めるには遅い年齢かもしれません。しかし、歳を言い訳に何もしないことは愚かな行為です。きっと人がやり直すのに遅いも早いもないはずです。これからの社会に必要とされるだけの能力をしっかりと身につけられるように、日々の学習へ励んでいきたいと思います。