社内ディベート大会!「義務教育に飛び級・留年制度は必要か?」

社内ディベート大会に参加する機会がありました。

論理的思考やプレゼン力を強化していくことと同時に、特定の分野の知識を深めていくことを目的に行なっているのですが、今回のテーマは「義務教育に飛び級・留年制度は必要か?」というもの。社会でも議論を呼んでいるテーマなだけに、ディベートで行なった立論をブログでもまとめておこうと思います。

 

 私は「義務教育に飛び級・留年制度は必要である」という立場でディベートに参加しました。その考えは2つの論点によるものです。

 

 1.落ちこぼれと浮きこぼれの防止

  •  留年制度について

留年と言うとネガティブな印象を受ける人も多いかもしれませんが、本質はとてもポジティブな制度と言えます。みなさんの実体験として高校時代を振り返って頂きたいのですが、周囲には授業へついていけない生徒が多数いたのではないでしょうか。

 

f:id:takuya0206:20120723185107j:plain

 

文部科学省の「学校教育に関する意識調査」によると、日本の学校授業の理解度は高校では約3割となっています。ちなみに、小学校での理解度は7割近くまで到達します。この数字の差は一体なんなのでしょうか?勉強の難易度だけの問題なのでしょうか?それも一因にあるかもしれませんが、根本的な問題として、勉強の構造が一度つまずいてしまうと取り返すことが難しいことにあると考えています。

例えば、中学1年生の数学で「方程式」という授業があります。これはご存知の通り、今後の数学を理解する為に必要な基本的な概念です。では、この「方程式」を理解できないまま進級してしまったら、その生徒はどうなるでしょうか。中学2年生になれば「連立方程式」が待っています。高校に入学すると「因数分解」が待っています。「方程式」が理解できないままで「連立方程式」が解けるはずがないし、「連立方程式」が理解できないままで「因数分解」が解けるはずがありません。では、この問題を現在はどのように解決しているのでしょうか。その答えは学校外学習にあります。いわゆる塾や家庭教師です。今は授業で理解しきれなかった点を、学校外で補修しているような状態になっています。

 

f:id:takuya0206:20120723185535j:plain

 

 ベネッセ教育開発センターの調べによると、中学生の塾へ通う割合は約46%。家庭教師や通信教育をしている生徒もいるので、家庭外学習をしている割合は半数を超える状況です。ただ、逆を言うと残りの半数は家庭外学習をしていない。つまり、親の教育感度や家庭の予算状況によって生徒の理解度に大きく影響をあたえてしまっているのが現状であると言えるのではないでしょうか。家庭環境に授業の理解度が左右されてしまう現行の制度が果たして本当に正しいのか私は疑問に考えています。

そこで留年制度の導入です。もし中学1年生で「方程式」が理解できなければ、理解できるまで何度も繰り返し勉強をする。進級しても授業についていけるレベルまで修得できれば次のステップへ進む。これが修得主義という考え方です。留年制度というよりは、理解できるまで学習時間を延ばす“延長制度”だと認識して頂きたいのです。授業についていけず、勉強を諦めてしまう生徒を救う為にも、ぜひ導入すべき制度だと主張します。

 

  • 飛び級制度について

こちらは落ちこぼれとは逆の“浮きこぼれ”を防ぐ為の制度です。またしても実体験を振り返って頂きたいのですが、塾や家庭教師などで修得した知識を、授業中に披露した際に、「学校で習っていない漢字を使ってはいけない」等と、先生から怒られていた人を見たことはないでしょうか。

実際に半年ほど前、立命館小学校副校長である陰山英男さんが、「最近、自分の名前であっても学校で習ってない漢字を使ってはならないと先生が指導するという。おかしい。だって名前の漢字はすべて学校で習うとは限らない。ならばいつまでも自分の名前は漢字で書けない。名前は親が指導し、学校では友達の名前を読めるように指導すべきと思う。」とtweetし話題にもなりました。

日本は皆が横一直線であることを強く望む雰囲気があり、「出る杭は打たれる」という諺が存在するほどです。日本の義務教育で大事なのは個人の尊重よりも教育カリキュラムです。一切の例外は認められません。

それに比べて、海外で飛び級制度を認めている国は、アメリカ、フランス、イギリス、ドイツ、韓国などと多く存在します。実際に飛び級の生徒が出ることは稀なことではありますが、法律として“認められていない”と“認められている”ことの差はとても大きいです。それは国が公式に突出した存在を認めているという意味になるからです。

今一度よく考えてみてください。突出した才能を持つ子供に「周りの子に合わせなさい」と退屈な授業に延々と付き合わせることが正しいのか、それとも、「君には才能がある。その才能に見合った授業を受けられるよう手配をしよう」と、興味津々に授業に取り組んでもらうことが正しいのか。私は後者が正しい”平等の姿”であると考えています。そして、実際に飛び級をするしないは、本人や家族が決断するにしろ、国として日本としては、突出した存在を許容する国であって欲しいと願っています。

 

 

  2.年功序列が崩壊した日本社会への対応

 

年齢主義(年齢によって学年や学級を決める考え方)のメリットとして、社会教育があると考えられます。集団行動を学び社会に出ても困らない人材になろうというもので、これは年齢主義ならではのものだと思います。30人~40人全てが同い年で計9年間も一緒に過ごす。また、学校には先輩後輩がいて、部活動などを通じて上下関係を知り、集団行動を学ぶことができるという仕組みです。

そもそも現行の教育制度になったのは、1945年の太平洋戦争の敗戦を受けて、1947年に学制改革が行なわれたときです。ちなみに、この改革まで飛び級は認められていましたが、社会階層に応じた“いわゆる軍人は良い教育を受けるべき”という考えから脱却し、平等な教育制度を設計しようという想いのもとから外されています。

この制度は昔の年功序列の社会に上手く機能していたように思います。個よりも集団で生きられる人が、主張よりも従順な人が優遇される年功序列の時代に、先輩を敬い、突出した人を嫌う教育制度がマッチしたのです。

しかし、もはや年功序列の制度は崩壊し、社会は成果主義に移りつつあります。20代であってもITスキル等の優れた力があれば飛び級で出世することは珍しくないし、40代であっても能力のないものはリストラの対象者になることはざらにあります。

社会が能力に応じた昇降格制度を設けているのに対して、その人の価値観がつくられるであろう、義務教育期間が能力に応じた進級留年制度を禁止しているのは大きな矛盾ではないでしょうか。敗戦後に社会階層からの脱却を目指して制度改革を行なったように、今の日本の“失われた20年”と呼ばれる停滞感から脱却する為に制度改革を行なうべきではないでしょうか。

今の若者に求められているのは、リーダーシップであり多様性です。日本の内需が縮小していく以上は外へ打って出るしかありません。日本の外には様々な人が生活しています。人種・宗教・言語など今までの自分にはない価値観を持った人に、これからの私たちは、一緒に仕事をしたり商品を購入してもらったりせねばなりません。

そんな次世代を担うような人材が育つのは、“年齢主義”なのでしょうか、それとも“修得主義”なのでしょうか。私は義務教育の留年・飛び級制度の導入こそが、今の社会に見合った人材教育の第一歩であると考えています。