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内田樹×岡田斗司夫対談「お金の要らない世界がやってくる?」に行ってきました。

NHK文化センター梅田教室で行なわれた内田樹さんと岡田斗司夫さんの講演に行ってきました。

まず「お金の要らない世界がやってくる?」というテーマが、ややキャッチーで怪しい感じがあるのですが、これはお金が全く要らなくなるという訳ではありません。貨幣経済というのは、今後も継続していくことは間違いないでしょうが、お金が一番便利であるということが変わってくるのではないか?それが岡田さんの言う評価経済だと僕は認識しています。ただ、実際には評価経済の話は殆んどなく、家族論→共同体論についての話が中心でした。

 

家族形態の移り変わりは、アニメの話しが分かりやすかったのですが、古くはサザエさんの時代です。波平とマスオさんの2人(マスオだけさん付けになるのは何故だろうw )が働き、フネ・サザエ・カツオ・ワカメ・タラちゃんを養う。自分を含めると1人で3.5人を養っている計算です。これがクレヨンしんちゃんの時代になると、ひろしとみさえが共働きをして、しんのすけとひまわりを養う。みさえはパートなので正確な式ではないかもしれませんが、1人で2人を養う計算です。時代の流れとともに養える人数が減っていっているのがわかります。

また、家族形態が小さくなっていくにつれて、それが消費を多く増やしてきたと言います。”家電”の時代から”個電”の時代へ、といいますか、サザエさんのように7人で一つのTVをシェアするのに対して、今は1人1台が当たり前の時代です。

昔の人たちは、大家族から抜け出す為に(3世代の家族がいると鬱陶しいことが多いらしい)努力をしてきたそうですが、それがお金を多く必要とする=消費を多く生む世の中にしてきたということなんでしょう。僕自身も自由を求めて18才から1人暮らしを始めましたが、生活コストは間違いなく上がりました。

そして、家族形態はさらに変化していきます。昔は大勢の家族が支えあって暮らしていく時代でしたが、経済成長によって小さい形態でも暮らしていけるようになりました。それを僕は自由が増えた良い時代だと思っています。その一方で、家族が一緒にい続ける意味がなくなってきました。「生活のために」ではもうありません。今は家族が一緒にいるには「好きであり続ける」ことが必要な時代です。お互いが好きでなくなれば、離婚して別々の道を進む方が良いのではないか?という価値観も徐々に浸透してきたと思いますし、事実シングルマザーの数は増えています。

家族形態の最小の形が母子のユニットであると岡田さんは言っていました。また、男はすぐに逃げ出すとも言っていましたw 離婚後に慰謝料や生活費をきちんと支払う男は少数派のようです。 母親のその愛情は大変素晴らしいことであると思うのですが、現実問題として、家族形態が縮小すれば消費はさらに膨らみます。例えば、小さい子供がいたとして、急に大事な用事が入っても大家族であれば”家族の誰かに面倒を見てもらう”ということが可能でしょう。しかし、母子のユニットではそういう訳にはいきません。おそらくベビーシッター等に外注することになるでしょう。こうした「24時間いつでも駆けつけます!」のようなサービスは、隙間を埋めるのには大変役に立ちますが割高であることが殆んどです。やはり消費を抑えるのは難しいでしょう。

そんな中で新しいコミュニティの形としてシングルマザーのシェアハウスが挙げられていました。今から昔の大家族の時代に戻ることは現実的ではない。しかし、隙間を埋めるような利便性のあるサービスを受け続ける金銭的余裕もない。なんとか困ったときに助け合えるコミュニティに属しておきたい。そこで、同じような待遇のシングルマザーが8人程集まって、共同生活をしている例が既にあるそうです。

これからの日本はこういった形に進んでいくのではないか?それがこの講演の本筋でした。日本の内需がどんどん少なくなり、少数派であるエリートのグローバル人材と多数派であるワーキングプア層に別れていく。後者の層は、個で生き抜くよりも相互扶助のコミュニティに属することで生活を成り立たせていくようになる。後はどういう過程を踏んでそのようになるか・・・。そこに向けて、大学の在り方や文化の持ち方など多くの議論があったのですが、一番面白いと思ったのは、

 

損得で物事を考えてはいけない

 

 この考え方です。例えば、8人が共同生活を送るシェアハウスがあったとします。その内の1人が怪しい宗教にハマってしまったとしましょう。損得勘定で言えば、子供に悪影響も出そうだし、なんか怖いし、”その人には退去してもらう”が一番自然の答えになると思います。しかし、それは”困ったときは助け合う”ことがシェアハウスの本質であった筈のに、そこから外れてしまいます。「もし私が大きい病気などトラブルになった時も、この人達は厄介払いするのではないか?」こんな不安を抱えていては相互扶助の関係は維持できません。だから、変な宗教にハマってしまった人が出てしまい、自身の損になる可能性があったとしても、支え合っていくことでコミュニティが成り立っていくという考えです。

 

内田さんはこんな感じのことを話していました。

「損得という考えは安全でないと出来ない考え方で、危険な状態のときに損得を考える奴は真っ先に死んでいく。映画なんかでも怪我をした奴に「そいつはもうダメだ。見捨てていこう!」とか言う奴は一番に死ぬ。最後まで生き残るのは怪我した奴を背負って一緒に逃げる奴じゃないか。今は多くの人に消費者マインドが染み付いていて、”最小のもので最大の対価を得る”ことが良いとされている。勉強をせずに東大に行くことや、安くて良い商品を買うことがカッコいい、そんな損得勘定がみんなにあるのではないか。安全な世の中ならそれでもいいが今の日本は危険な状態である。だから、損得を捨ててお互いが助け合っていく社会になっていかないといけない。」

 

 この辺りは僕が理解できない所なのですが、内田さんの考えの元が感じ取れたので良しとしておきます。

 

「今後は少数のエリート層と多数のワーキングプア層の二極化がおきて、後者はお互いが支え合いながら生きていくようになる。」という点については完全に同意なので、やはり後はどういう過程を踏むか?が重要ですね。僕なんかは、その過程に必要そうなサービスやシステムを用意すれば利益が上がって・・・と考えてしまうのですが、これは思いっきり損得勘定なので、内田さんとは真逆の考えであることが自分でもよく分かります。

 

ちなみに、ここまで長々と備忘録のように書きましたが、この家族論→共同体論は全て女性目線の話です。

 

では、男はどうなるのか?

 

男は生物の繁栄にそこまで数が必要ないから、モテる男は多くの母子ユニットにくっついて、モテない男はそいつらで集まって女子根絶の暮らしをせよ!とのことでしたw