2015年を振り返って

 毎年のように言っていますが、早いものでもう1年も終わりですね。年を重ねる度に、時間の流れが早くなっていくように感じます。皆さんはこの年末をいかがお過ごしでしょうか?私は28日が仕事納めで、後は頭の整理をしながら、のんびりと年を越す予定です。そして、毎年のことながら、振り返りを視覚化することによって、より明瞭に2016年に取り組んでいければと思います。

 

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※島原の「山の上カフェ」から一枚。山と海の距離が近い。

2015年の振り返り

 2015年をざっくり振り返るとこんな感じでした。やはり新たに起業しただけあって、Wasabi色の強い一年ですね。相変わらずジェットコースターのような日々でしたが、面白おかしく過ごせたのではないかと思います。

  • 2月 Wasabiトライアルを開始
  • 3月 インドの日系商社の退職を決意
  • 5月 退職
  • 6月 インドから帰国 & 新会社設立
  • 7月 Wasabi リリース
  • 11月 海外視察開始
  • 12月 中国滞在中

  あらためて自分で見ても、なかなか思い切りのいい人生だなあと思います。たしかWasabiの構想を持ち始めたのが2014年の11月頃で、そこからメンバーを探して、サービスの土台を作って、3か月でトライアル開始、その翌月には退職を決めるって。「ちゃんと市場調査なんかはしてんのか?」って感じですよね。今回の起業は完全にプロダクト・アウト型のチャレンジです。ある程度は市場を見てから参入を決めていますが、商品は自分たちが良いと思うものを全力投球しています。一回目の起業はマーケット・イン型で、状況にあわせて売れるものを売るという感じでした。私が経営者だったのは4年間でしたが、潰さないことに徹底すれば、会社を経営するのはそこまで難しいものではないと感じたのを覚えています。ですが、やりたいことをやるというのは全く別の難しさがあります。もちろん、だからこそ面白いのですが。「毎日を刺激的に過ごせるのはなんと幸せなんだろうか」…そんなことを日々感じていた一年間でした。

2015年の良かったこと

 新しい仕事に前向きに挑戦できたことが今年は良かったと思います。実は前から敬遠していたプログラミングでしたが、必要に迫られて自分でHPの開発を行いました。1カ月ほどかけて、Codecademy のコースを4つ受講し、専門書を読んで、既存サイトのコードをひたすら書写しました。やっている途中に、これは英語学習と要領は殆ど同じだなと感じました。原理原則を学び(言語でいう文法など)、後はただ上手い人の真似をする、そうすることで誰でも一定のレベルまでは到達できるものだと思います。僕はまだ、HTML・CSSPHPを触った程度ですが、これより上のレベルのプログラミングが必要になっても、(プロのエンジニアにお願いするか自分でやるかはさておき)対応していけるだろうなという感覚があります。

 日本語という言語に対する知識や、英語でのアウトプットに対しても、初めての経験ながら、ひとまずは満足できる内容になったと思います。例えば、7月後半からWasabiで日本語に関するブログを書き始めたのですが、5カ月間で122記事を書きました。直近の は vs. が: Five Points You Need to Know という助詞の「は」と「が」の違いを説明した記事は、2日間で121シェアされ、多くの日本語学習の人からコメントをもらいました。日本語スピーキングテストやレッスン教材の開発など、時間の経過に比例してたしかにクオリティが上がっています。

 これは、新たな分野に対して自分なりの勉強の仕方が確立されてきたことが大きいです。現代のような技術が急速に進化していくこの世の中、こうしたQuick Learnのスキルは重宝します。インプット・アウトプット、両方の質の向上を感じることができた一年でした。

2015年の悪かったこと

 残念なことに、直接の業務に関係のない勉強が完全にストップしてしまいました。CIMAという英国勅許公認管理会計士の勉強をしていましたが、15~6ほどあるうちのテストに2つ合格したところで中断。英語のスピーキングの練習も中断。去年から購読しているThe Economistも溜まりに溜まっています。今は仕事が終わったら寝る、そんな暮らしの繰り返しです。これはいかんなあ…と。僕の相変わらずのコンプレックスは器用貧乏であることです。大体のことは人並みにはこなせる、そのキャッチアップも早い自信があるのですが、悔しいことに専門性がありません。日本語の知識も日本語学者の人よりあるわけでもなく、プログラミングもプロのエンジニアの人には到底及ばず、英語も海外市場の知識も人並み以上であってもプロではない。どれも中途半端なんですよねえ。この汚名を返上すべく、コツコツと勉強しようと思っていたのですが、これが途中で止まっています。これからは複数分野の橋渡しができる人材の時代だ!…なんていう意見もありますが、そこで自己肯定をするわけにはいかないんですねえ。

2016年の目標

 2015年の反省を踏まえて、あえての目標設定。2016年はさらに業務に集中する一年にしたいと思います。毎朝1時間は勉強タイム…そんな設定もできましたが、2016年は休んでいる時間以外は仕事に集中します。プロダクト・アウトでの起業、僕はいまのサービスを心から好きだし、市場に絶対存在するべきものだと思っています。それだけで売れたら苦労しないのが商売ですが、その商品を片手に真っ向から正面突破してやるつもりです。そして、またしてもあっという間に過ぎるであろう2016年も、後悔を一つも残すことなく存分に楽しむつもりです。2016年は3月から数カ月は日本、それから東南アジア圏を訪問するつもりです。タイミングが合う方はぜひお茶をしましょう。相変わらず住所不定でフラフラしている僕ですが、2016年もどうぞよろしくお願いします。

グローバルとは…ただの言葉じゃ。中国でグローバルとローカルを考える。

 お久しぶりです。気づいたらもう2015年も終わろうとしていますね。いま中国の上海から天津行きのフライトの中でこのブログを書いています。現在、Wasabi英語圏でのみサービスを提供しているので、近いうちに多言語化しようと思っているのですが、まだはっきりと進出先を決定していません。日本語学習者の母数を考慮すれば、中国・インドネシア・韓国が次の展開の選択肢にあがってくるのですが、やはり現地を知らないことには何も始まらないということで、しばらく地元のご飯を食べて、こちらのWebサービスを使い、地元の生活環境に浸る、そんな全国行脚の旅をしようと思っています。

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上海市内にて(写真にすると空気の汚れが目立つ…)

中国の国内線でふとグローバルを考える

 思えば数年前、僕は大阪府が主催するグローバル人材育成うんたら研修に参加していました。そしていま、自分が'グローバル'にサービスを展開するようになって思うのは、「グローバルとはただの言葉である」ということです(本エントリーのタイトルは、私の敬愛するバガボンドから来ていることに皆さまお気づきですよね?)。いま僕のフライトの席の周りの人は(当たり前ですが)中国人が殆んどです。インドにいたときは、自分の周りにいたのは大半がインド人でした。辞書によれば、グローバルとは「世界的規模であるさま、国境を越えて地球全体に関わるさま」という意味があるそうです。しかしながら、国境をいくら越えてもそこにはそれぞれのローカルがあるだけで、カメレオンのように個々に色を変えて取り組む必要があります。グローバルな色なんてありません。 

 

世界の均一化はまだ遠い未来

 インターネットを使えば、中国にはグレート・ファイアウォールがあり、インターネットに規制が入っていることが簡単にわかります。インターネット業界で言えば中国は非常に独特な市場ではないでしょうか。例えば、中国からは海外のサーバーが使用されたWEBサイトにはアクセスがしづらいと言われています。では、中国のユーザーにサービス提供をするときは中国にサーバーを置いた方がいいのか?オンラインレッスンにはSkypeでなくQQ(中国で普及しているコミュニケーションツール)を使った方がいいのか?などなど、そんなことを検討する必要があります。言うまでもなく、GoogleFacebookTwitter、LINEなど、この辺りのサービスは軒並み使用することができません。その代わりに、同等のサービスが中国企業によって提供されています。また、特に規制がされていないサービスでも、同等のものが中国にはあることが多く、中国企業のそれの方がシェアを取っていることが殆どです。例えば、Wasabiでは支払い対応にPaypalを使っていますが、中国では「支付宝」の方が一般的です。中国系サービスでPaypalが使用されているのを見たのは、英語対応をしているフライトを手配するサイトぐらいです。やはり中国に進出するのであれば、ただ単に中国語版のサイトをオープンするのではなく、ローカルのスタンダードに合わせた細かいケアが必要になるでしょう。こういうことも現地に来てみないと気づかないことの一つでした。

 

オンラインが主流だからこそのオフライン

 これだけ国々で状況が違うことを一人で、ましてや日本人だけで対応するなんて到底無理な話です。やはり、その国の言葉が話せて、文化やマインド、市場に詳しい、そんな人がチームに必要です。インターネットで簡単に世界中が繋がれる、そんな時代だからこそ、新しい仲間を探すべく、わざわざ飛行機にのって、現地の人と顔を合わせたコミュニケーションをしていく重要性が高まっているのではないでしょうか。働く場所、働き方が選べる時代です。一つの場所に根を張った商売はもちろん偉大なことなのですが、新しい場所で新しい価値観に出会う楽しみはまた特別なものがあります。Wasabiも今はただ英語で情報発信をしているだけで、ターゲットがぼんやりしてしまっています。この全国行脚のなかで、各国にローカナイズしていく為のパートナー探しに注力したいと思います。

 

 

 次はあなたの住む場所へお邪魔するかもしれません。その際はどうぞお茶の一杯にでもお付き合いくださいませ…!

よそ者が地域復興を考える(その2): 街が儲かるということ

 早いものでもうすっかり夏も終わりですね。時間が経つのは本当に早い。僕はと言うと、相も変わらず日本の最西端、島原半島で元気にやっています。さて、前回のエントリーでは、地方都市の経済の現状について触れてみましたが、今回はそもそも一体どういう状態が ”地域復興” を意味するのか?そんなことについて考えてみたいと思います。

 

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※島原水祭り。結構田舎も面白い。

 

結論:中の商品がもっと外に売れるか、外の人がもっと中に来るか

 シンプルにシンプルに考えれば、これに尽きるのではないかと思います。もう少しカッコよく?表現するのであれば、貿易復興と観光復興、そのようにも呼べるのかなと。つまり、その地域内で流通させるお金の絶対量を増やすということです。

 例えば、よそ者である私が島原のスナックで100万ほど飲み明かしたとしましょう。じゃんじゃん飲んでの大盤振る舞いです。これはラッキーと、100万円を受け取ったそのママは、20%の20万を貯金して、残りの80万円で宝石を買いました。これまたラッキーとその80万円を受け取った宝石店の店主は、やはり20%を貯金して、残りの64万円で家具を買いました。さらにその64万円を受け取った家具は…と、この流れが0円になるまで続く、いわゆる乗数効果というやつですね。限界消費性向(何%貯金して、何%使うかという数値)が80%だとすれば、100万円が500万円の経済効果になると言われています。

*この例は話をシンプルにする為に売り上げ=100%利益としています。

 

あなたは100万円が棚から降ってきたら何万円貯金する?

 ところが、先行きが不安な昨今です。上記の例では、80%が消費に回ると仮定しましたが、現実にそんなに豪気な人がどのくらいいるでしょうか?もしあなたが明日100万円のお年玉をもらったらどうしますか?80万円の時計でも買っちゃいますか?そうはいきませんよね。将来を見据えて貯金しておこう、そんな風に思ってしまう人も多いのではないかと思います。これが政府のバラ撒き政策が上手くいかない一つの要因です。バラ撒いてもなかなか使われない。

 ところで、ご存知の通り、僕は別に経済学を勉強していた訳でもなく、これら上で並べたことは、これまでに散々言い尽くされてきたことばかりです。では、一体どうすればいいのか?実はそれも分かっている。地域の商品を外に売って儲かった事業者が地域内で消費をする、もしくは地域の外から観光客に来てもらって地域内で消費をしてもらう、この2択です。今の日本の地域の問題は、解決策も見えている状況で、これらを実行する人、もしくは出来る人が少ないということではないでしょうか?

 

街が儲かる、街で儲ける

 観光復興で考えてみましょう。シンプルに考えるとこんな式が浮かび上がってきます。

 

流入数×滞在期間×時間当たりの消費額=街の売り上げ

 

これを地域全体で取り組むことが、地域復興ということであり、その結果が街が儲かるということだと思います。これは個人で出来ることでもなく、一企業でやることでもありません。街全体でこの式の解が最大化するよう取り組んでいくことが必要です。また、さらに重要なことはそこで儲かった人たちは地域にお金を回していくということです。そうすれば街は確実に前と進んでいきます。貿易復興にしても同じことです。地域にある特産物を街が後押しして外に売る。その儲かったお金を地域に循環させる、それだけです。

 

ビジョンと戦略

 言葉にするとシンプルでもこれを実際に実行するのは難しいものです。「海外の観光客を連れてこよう!」「どうやって?」だし、「海外に特産物を販売しよう!」「どうやって?」となります。そもそもなぜ儲かったお金を地域内で使わないといけないのか?と言われたら、「それはごもっとも。あなたのご自由に。」となってしまいます。地域として消費マインドを持つ為にも、例の方程式の解を最大化するためにも、全体で連携して戦略的に動く、ということが必要です。いま地域に必要なのは、貿易復興もしくは観光復興の大きな絵が描ける人、そしてそれを実行に移す力のある人、ですよね。これはもう本当に。しかし、地方都市は往々にして人材不足なものです。もし地域のなかにいなければ、外から無理矢理にでも引っ張ってこないといけないのかもしれません。それが多少の摩擦を生むのだとしても、個人的には待ったなしの状況な気がします。

 

最後に

 色々と書いてみましたが、僕はと言うと地方から日本語教育というサービスを輸出することに尽力しています。インターネット教育に関心があってのこの事業なのですが、多くの地元の人に協力してもらっており、大きく利益を残して、しっかりと街に還元せねばと感じているところです。今は自分たちだけで奮闘している状態なので、上手く街として絵を描けたらなと思いつつ、またしばらく自分の仕事に集中しようと思います。それではまた次回。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よそ者が地域復興を考える(その1): 地方都市って本当になくなるの?

 早いもので島原に来て2ヶ月が経ちました。どうやら世間では思ったよりも地方への移住や地域復興の取り組みが注目を浴びているようです。しかし、実際にその現場に飛び込むのは、東京や大阪という都会に住んでいる人には難しいものかもしれません。地域復興には「若者、よそ者、ばか者」が必要だと言われますが、残念ながらここでそのような人を見かけることはあまりありません。私は島原の地域復興の為に来たわけではないですが、ある意味でその現場の第一線にいますので、感じたことをまとめていこうと思います。

WasabiInstagramを始めました。Wasabiを知らない人はこちら

この地域復興シリーズを書く理由

 ありのまま書くと、実際に地方に住んで生活をしていると、そこに愛着が湧いてくるものです。このまま島原市が廃れていく、なくなってしまう…それはよそ者と言えどやはり寂しい。しかし、この日本の地方が抱える山のように巨大な問題を解決しようとするまでの気持ちはそう簡単には持てません。そもそも、私一人で出来ることではありません。そこで決めました。まずはその現状や自分の意見をブログに書いてみようと。そして、このシリーズを読んで「いっちょ一肌脱いだろか!」「地域復興にワクワクしてきた!」そう思ってくれる人が増えて、具体的な何かが生まれることを願っています。

この地域復興シリーズを読んで欲しい人

  1. 自分の地元の地域復興がしたいが、何をしたらいいかわからない人
  2. 島原半島を盛り上げたいと思っている人
  3. 少子高齢化問題に関心がある人
  4. 地方自治体に問題意識のある人
  5. 地方都市こそWEBをもっと活用すべし!と考えているエンジニア
  6. 英語、中国語、その他アジア圏のローカル言語のいずれかが達者で、日本のグロバール化は地方から始まるべし!と考えている貿易業、観光業の経験者
  7. 東京で消耗している人

地方都市って本当になくなるの?

 さて、すっかり長くなりましたがここからがシリーズ(その1)の本題です。あなたはどう思いますか?日本の地方都市が10年後、20年後になっても今の形を保っていられると思いますか?…残念ながら、私の答えは「No」です。その根拠を財政と人口という観点から見てみましょう。皆さん、うっすらと気づいていることばかりだと思いますが、数字にしてみるとなかなかのインパクトです。

財政

 では、ここでまたもう一つ質問を。私の住む島原市の決算は、黒字と赤字のどちらだと思いますか?…多くの人は頭のなかで「どうせ赤字だろ」と呟いたのではないでしょうか。そう、答えは「黒字」です。平成25年の島原市の決算報告によれば、301億円の歳入に対して、296億円の歳出。まあ、これが純粋な黒字であれば、日本の将来を憂うことなど何もないのですがね。地方交付税、国庫支出金という言葉をご存知ですか?これが今の地方自治体がゾンビだと言われる所以です。

地方交付税

地方公共団体が等しくその行なうべき事務を遂行することができるように国が交付する税。

国庫支出金

国が地方公共団体に支出・交付する資金のうち,その使途が特定されているものをさす。

コトバンクより

 次に、この二つが島原市の歳入の割合のどれぐらいを占めのるか見てみましょう。

 

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なんと合計で49.3%。。。 半分近くのお金が国からやってきている訳です。もしこれがなくなれば140億円近い赤字になります。地方交付金、恐るべし。では、その大元の財源になっている国の財政はどうなっているのでしょうか?黒字ですか、赤字ですか??…これは聞くまでもありませんよね。

我が国の予算は、急速な高齢化の進展による社会保障関係費 等の増大により歳出が伸び続けている一方、税収は伸び悩み、近年では歳入の半分を借金に依存せざるを得ない状況が恒常的に 続いている。新規国債発行額が増加傾向にあり、その結果、国債 残高は国際的にも歴史的にも類をみない水準となっている。 (財政制度等審議会「平成27年度予算の編成等に関する建議 (平成26年12月25日)」)

 だそうです。つまり、島原市はその運営の半分を地方交付金に依存しているが、その大元の日本はその財源を借金によって成り立たせている、といことです。これはおそらく他の地方自治体も似たような状況下にあるのではないでしょうか。

人口

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 上記は島原市と近郊の市の人口推移です。見事な下り坂ですね。参考まで、島原市は平成22年度の人口が4万7千人となっていますが、この50%の人が50歳以上の人々です。この人口減少と高齢化は今後ますます進んでいくでしょう。島原ではこれから1年で1%の人口減をしていくと言われています。なので、20年後には人口が4万人を切っているはずです。そして、上と同じく、他の地方自治体も島原と遠からず近からずの状況なのではないでしょうか。

つまり

 国の借金で成り立つ地方自治体、深刻に進む人口減と高齢化。言い尽くされた言葉ですが、やはり今の地方都市が残っていくとは考えにくいです。残るという根拠がない、残らない根拠はたくさんある、となれば、否が応にも出る答えは、残らないになってしまいます。

 

地方都市の行く末

  もう少し突っ込んで地方都市のシナリオを考えてみましょう。先ほど島原市は ”20年後には人口が4万人を切っている” と書きました。この予想はまず外れていないでしょう。さて、ここで考えてみたいのは「日本という国は、この先20年の間、今と同じだけの地方交付金を出し続けるのができるのか?」ということです。繰り返しますが、その財源は借金です。今と同じ状況を維持することは難しいという前提に立っておくのが現実的ではありませんか。では、その場合に地方都市へどういう影響を及ぼすのでしょうか。

 「交付金の払い先を減らしたい」、まず国はこう考えるはずです。地方を見れば、人口はどんどん減っている、インフラの過剰整備が目立つ、維持費も馬鹿にならない。そうすれば、おのずと「隣町同士が合併してくれないかなあ」、「人も一つの町に集中して住んでもらえないかなあ」といったアイディアが浮かんでくると思います。これまでの市や町の合併はさほど実生活に大きな影響がありませんでしたが、これからはそうはいかないはず。まだ少しでも地域復興の可能性が残されている場所に、周りの小さい市や町から人を集めてくる、そうすることで経済の活性化を図り、自治体の運営コストを下げる。こうした動きがどんどん加速してくるのがこれからの日本です。

まとめ

 地方都市の今後の状況について考えてみましたが、「何も手を打たなければ、地方都市は人が一つの場所に集まる合併を繰り返すことで、ここ10年、20年は運営されていく」という悲観的な結論に辿り着いてしまいました。現実的でないですか?しかし、財布をひっくり返しても、今の体制を維持するだけのお金がない。やむをえない、そんな声が数字を見ていると聞こえてくる気がします。その合併の土台の場所になれるように、今のうちに種をまいておくのが現実味のある行動なのかもしれません。日本全体がもう一度高度成長期を迎えることはないです。緩やかに下っていく日本、その中でも成長している限られた都市になる、それがこれからの適切なポジション取りになる気がしました。ただ、暗くなっていても仕方ありません。正しく状況を把握し、取るべき行動を取り続ける、そうすることで盛り上げていくしかないですよね。よそ者が地域復興を考える(その2)では、地方復興とはどういう状態を指すのか?について考えてみたいと思います。

地方の年配者を世界へ繋ぐ、新しい日本語学習のカタチ Wasabi

 本日、オンライン日本語学習サービス Wasabi(英語)をオープンしました。Wasabiは「やる気ある全ての学習者が日本語を確実に習得できるように」をビジョンとして、ネイティブとのオンラインレッスンを市場の最安値で提供していきます。その為に、私たちは日本の地方に住む年配者の方々に注目しました。ご存知の通り、日本の地方は過疎化が進んでおり、若者の数がどんどん減っています。私たちが拠点を置く長崎県島原市もその内の一つで、「子供や孫となかなか会う機会がない」、「定年退職をしたから新しい趣味や話し相手が欲しい」…こうした声を至るところで耳にします。そんな年配者の方々を、インターネットを通じて、海外で日本語を学ぶ若者たちへと結びつけました。 

 現在、Wasabiに所属している最高齢の先生は81歳のお婆ちゃんです。Skypeの使い方を勉強したり、日本語を教える練習をしたりと、新しいことばかりで苦労もされていますが、一緒に面白おかしく慌ただしい日々を過ごしています。これまで一人でテレビを見ていた時間が、急に海外の若者から「先生!」と呼ばれる時間へと変わる…私たちはレッスンの後に先生と一緒にお茶をすることもよくあるのですが、「うちの子はねえ…」と嬉しそうに生徒自慢をする皆さんの様子を見ると、なんだかこちらまで嬉しくなってきます。ユーザーからも、年配者ならではの、暖かみがあって辛抱強く話し相手になってくれるレッスンは、非常に好評のようです。

 ところで、この現代が歴史上でもっとも言語が習得しやすい時代だと言われていることはご存知でしょうか。ポケットに入っているスマートフォン一つで、音源が聞ける、テキストが読める、自分の声は録音できる、インターネットには無数の情報が拡がっている…これほど便利な時代はかつてありませんでした。しかし、ただ一つ、まだ一つだけ足りないものがあります。ずばり、それはネイティブとの会話の練習です。こればかりは相手があって成り立つものなので、技術の力では未だカバーしきれていません。しかし、逆を言えば、ここさえ問題解決できれば、おおよそ全ての人がターゲットにしている言語を習得できるようになるはず。これが我々の出発点である仮説です。

 とはいえ、ただのお喋りを繰り返すだけで習得できるほど、言語は簡単なものではありません。そこには理論に基づいた学習のカリキュラムが必要です。そして、実はこれこそがWasabiの強みの一つでもあります。私たちのカリキュラムの監修者は、一橋大学社会学研究科博士課程、言語学専攻、現在はハーバード・イェンチ ン研究所の客員研究員としてアメリカのボストンで日本の地域言語の研究を行っている、いわば言葉のプロフェッショナルです。彼女は「Wasabiの先生は日本語教育の経験を持たない年配者。それでもしっかりと学習効果が上がるカリキュラムを作って欲しい」という無茶な依頼にしっかりと応えてくれて、スピーキングに特化&細分化した、専用のカリキュラムを設計してくれました。これにより、地方の年配者が立派な先生に早変わりです。日本の地方に住む豊富な数の年配者、インターネット、確かな言語知識に基づいたサービス設計、この組み合わせがWasabiです。 

 私たちはこれより「やる気ある全ての学習者が日本語を確実に習得できるように」を目指し、その為に市場の最安値でネイティブとのレッスンを提供していきます。まずは英語圏の学習者を対象にしていますが、後々は各地の言語にも対応させていくつもりです。世界に散らばる日本語学習者と、地方に住む年配者の為に、メンバー一同、身を粉にして働いていきますので、どうぞ暖かいご支援をよろしくお願いいたします。

 

公式ホームページ(英語)

公式Facebookページ 

 ※イイねをしてくれると飛んで喜びます!

 

(追記)

2016年8月、Wasabiのレッスンを一時中止しました(こちら参照:お知らせ)。

2016年11月、Wasabiを株式会社スモールブリッジに譲渡しました(こちら参照:2016年を振り返って)。

 

常盤卓也

これからの教育と僕の行く末

 岡山県という片田舎に生を受けて、気がつけば、岡山→埼玉→大阪→京都→香港→デリー(インド)→グジャラート(西インド)までやってきました。相変わらず「人生は泣いても笑っても一回きり」を合言葉にして、刹那的な人生を送っております。そして、また新たに次の新天地へ進むことを決めたので、ここにご報告します。6月よりインドを離れて、日本の島原半島へ移り住みます。…ほぼ間違いなく、今みなさんは中学校で習った「島原の乱」以来、この言葉を目にしていることでしょう。そんな人達の為に地図を用意してみました。

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 さあ、もうお分かりですね。諫早市の南に位置するあの雲仙がある島原半島です。長崎市内に行くよりも熊本へフェリーで行くのが便利なあの島原です。…さて、では何のために島原へ?ということですが、実はもう一度起業をすることにしました。詳しい内容はもう少し後になってから公開しますが、オンライン教育に関連した事業をやる予定です。

 

 教育とはどうしてこうも興味が尽きないテーマなのでしょう。ビルゲイツは、ある講演で「自分が楽観主義者であることを認めたい。私はあらゆる厳しい問題も解決可能であると考えている 」と言いましたが、私も彼に倣ってこう言いたい。「私は楽観主義者だ。社会を取り巻くあらゆる問題は教育を通じて解決可能である」と。教育の重要性についてはここでは議論しませんが、興味がある人は福沢諭吉学問のすすめを読んでみてください。時代を超える名著中の名著だと思います。

 歴史上、教育のモデルというのは長らく変わっていません。教室のなかに先生がいて、教科書があって、生徒が机に座って…という形です。これまで教育に最も変化を与えたのは、間違いなく印刷技術でした。それは教科書という形で、一部の限られた人が持ちえた情報を、一気に大衆化しました。そして、インターネットという技術は、印刷よりも格段に低コストで、情報を世界中に流通させることが可能です。つまり、教育はいま歴史上で2度目の大きな転換期を迎えており、これから教育はその形を変えていきます。

 デジタル化が急激に進む現代では、情報がフリー化していく、というのはもはや常識になりつつあります。例えば、音楽業界ではCDという音源(ソフト)の販売から、ライブや握手会でのリアルな交流にマネタイズが移行しています。出版業界でも、本そのもののコンテンツは電子化が進んでコストが下がり、紙の本というハードは、一部の人のみが楽しむ贅沢品になるでしょう。教育業界にも同じことが言えて、いまお金を払って教育を受けている人は、そのコンテンツそのものよりも、先生との議論、学友との繋がり、フィールドワークや実験、そうしたハードに価値を見出している人が大半なのではないでしょうか。もしくは、何も考えずに周囲の雰囲気に流されているか。単に授業が聞きたいだけなら、カーンアカデミーの方がよほど優れている時代です。この点からも、既存の教室で授業をただ受けるというやり方は、変わっていくと言えます。

 しかし、すぐに教育に革新が起きるかと言えば、話はそう簡単ではありません。あのアメリカでさえ、一部の教授陣は自身が職を失うことを恐れ、MOOCsの導入を拒んでいるそうです。インドには、インターネットにアクセスできない人や、日々の生活だけで精一杯の人がたくさんいます。また、世界の学歴主義はそう簡単には崩れないでしょう。教育は間違いなくその過渡期にいるものの、革新には人為的な後押しが必要です。そして、それこそが市場機会だと僕は考えています。

 

 その一つ目の事業として、日本語教育をこれから始めます。知っていますか?日本語教育はすごい高額なサービスなんですよ。もしネイティブと1対1のプライベートレッスンを受けようものなら、1時間あたり約4000円、オンラインのレッスンでも約2000円は必要です。インターネット上で、ほぼ費用をかけることなく、英語を身につけた僕としては、信じられない価格感です。これを50%オフぐらいの価格で提供する。なおかつ、ちゃんと事業として利益を出す。詳しくは別エントリーで書きますが、これが次の僕の目標です。 

 「お前も30歳になろうとしてるんだから、家族を養っていけるような、ちゃんとした仕事(=それなりの額の給料が定期的に支給される)に就けよ」、こんな有り難いアドバイスをよ~~くもらいます。いえいえ、不安定さが怖くて起業はできません。そもそもインドにも住めません。人生は不安定だからこそ面白い。引き続き、振れ幅の大きい道を進んでいくつもりです。関係者ならび友人のみなさん、これからも暫しのお付き合い、そして暖かいご支援をよろしくお願いします。

観光客とウミガメと渡り鳥-”これから”の生き方

 数週間前に東浩紀氏の「弱いつながり 検索ワードを探す旅」を読みました。偶然に身を委ねて生きている僕としては大変共感できる内容で、自分の生き方を考えなおす良いキッカケになりました。そして辿りついたのはまた別の結論。しかし、それが現代の若者とっては一つの選択肢であると感じるのでここに書いてみたいと思います。

弱いつながり 検索ワードを探す旅

弱いつながり 検索ワードを探す旅

 

  東さんは著書のなかで人生論を下記のように説明し、観光客としての生き方を提案しています。

世のなかの人生論は、たいてい二つに分けられます。ひとつの場所にとどまって、いまある人間関係を大切にして、コミュニティを深めて成功しろというタイプのものと、ひとつの場所にとどまらず、どんどん環境を切り替えて、広い世界を見て成功しろというタイプのもの。村人タイプ旅人タイプです。でも本当はその二つとも同じように狭い生き方なのです。だから勧めたいのは、第三の観光客タイプの生き方です。村人であることを忘れずに、自分の世界を拡げるノイズとして旅を利用すること。旅に過剰な期待をせず、自分の検索ワードを拡げる経験として、クールに付き合うこと。

 私はここで「自分は一体どのタイプだろうか?」と考えてみました。まず間違いなく村人ではありません。しかし、旅人なのかと言われるとそれも微妙なところです。私はバックパッカーでもなければ海外旅行すらしたことがありません。なので、むろん観光客とも違います。強いて言えば移民でしょうか。私はいまインドにある日系企業で仕事をしながら現地で暮らしています。かといって、「インドにずっと住むの?」と聞かれたらそれも違います。やっぱり移民でもない。

 一方で、ウミガメとしての生き方を提唱する人もいます。ITやベンチャーの世界ではとても有名な加藤顺彦という人です。加藤さんは、海外に出て成功して母国に貢献する人のことをウミガメと評しています。ウミガメのように外海で大きく成長して、故郷に卵を産みに帰ってくる、という意味だそうです。

講演録 若者よ、アジアのウミガメとなれ

講演録 若者よ、アジアのウミガメとなれ

 

  私は自分がウミガメタイプなのか考えてみました。しかし、やっぱりそれも何か違う。残念ながら、外海で成長して日本に卵を産みにまた戻ってくるんだ!という立派な志は持ち合わせていません。世代論はあまり持ち込みたくありませんが、ゆとり世代といわれる我々は、なかなか世知辛い人生を歩んでいます。生まれてこのかた好景気を経験したこともなければ、将来の年金すら危うい。大企業がリストラを敢行するニュースを尻目に、何百通のエントリーシートを送る就職活動。日本を自分の村とする、卵を産みに戻ってくるどころか、日本を脱出した方がむしろ良いぐらいの雰囲気です。

 脱出といえば聞こえは悪いですが、それを自立と言い換えればどうでしょうか。日本社会に依存するのではなく、他の社会でも生きていけるよう自立をする。これが今の私の生き方を表す一番適した表現だと思います。何かに形容するとすれば、渡り鳥タイプでしょうか。渡り鳥は環境の変化に合わせて生活の基盤を柔軟に変えていきます。旅人ほど次々に新しい場所へ行くわけではない、観光客ほど表層的ではない、ウミガメほど大げさなものでもない、より良い暮らしの為に海を渡るというドライな生き方です。生活の基盤が自分の村にある観光客と違って、新しい土地を開拓する渡り鳥の生き方は過酷です。違う環境の社会で生きぬくべく、その社会に順応していく必要がありますから。一歩間違えると飢え死の可能性もあります(キャリア的な意味で)。しかし、だからこそ、観光客では覗けない世界を見ることができるのです。

 

 例えば、僕がいま住んでいるインド。インターネットでインドについて調べてみると、多民族国家で牛が神聖な生き物であることがなんとなくわかります。しかし、どれぐらい多民族国家で牛を大事に思っているかは、実際に住んで身をもって体験しないと本当の意味ではわからないでしょう。

 オートリキシャ(三輪のタクシー)に乗って街を走ってみれば、道を塞ぐ牛に対してドライバーがクラクションをけたたましく鳴らす。牛は慣れたものでのっそりと体をどかす。ふと道端に目をやれば、牛が屋台の果物を盗み食いしようとして店主に頭を叩かれる。これがインドの日常です。日常のなかに牛がいます。

 ところかわって、ヒンディー教のお寺に行けば、クリシュナ(インドの神の一人)が牛に囲まれた壁画が飾られています。また、別のお寺に行けば、今度はシヴァ(インドの神の一人)が牛に跨がっています。これは日本でいうアマテラスやスサノオが牛とともにいるようなものです(たぶん)。インドの人々はこうした神々の像のまえで熱心にお祈りをしています。また、なにかのお祭りがある度に、インド神話を必ずというほど説明してくれます。これでさすがに「なんで牛を食べないの?」とは口が裂けても聞けません。それは見ればわかるだろと。

 その一方で、普通に牛を食べるインド人もいます。ナガーランド州の人々です。彼らの多くはクリスチャンであり、インドの神々を信仰していません。ちなみに、ナガーランド州(インド最東部)では10以上の民族が生活しており、それぞれの民族がそれぞれの独自の言語を持っています。なぜ僕がそれを知っているかというと、答えは単純でナガーランド州出身の友人ができたからです。彼と一緒にグジャラート州(インド最西部)を散策したときは、私の英語も彼の言語も現地で通じなくて途方にくれました。インドは他民族国家だと言われていますが、やはりそれを文字で知るのと、インド人と一緒にインドの街を散策しているのに言葉が通じない体験をしたのではやはり理解が違います。

 こうした深いところまでの体験ができるのは、観光客ではなく一時的とはいえ根を張っている渡り鳥ならではの利点ではないでしょうか。また、異文化を理解し、そこで仕事をしていくことによって、精神的な安定が発生します。会社の経営でも収入源が一つに依存するとリスクになるように、「いざとなればこっちの社会で生活するからいいや」と思えるようになることは、自分の生活にゆとりを運んでくれるからです。

 

 もちろん、それぞれの生き方にはそれぞれのメリットデメリットがあります。一つのコミュニティを掘り下げる村人タイプが悪いわけではありません。大前提として、個人が自分の好きな道を自由に選べば良い。しかし、最近の若者は、これまで日本で論じられてきた旅人タイプと村人タイプに当てはまらない人が多いのではないかと感じています。また、観光客タイプになりたくても経済的資本が足らない、ウミガメタイプになりたくてもそんな大志を抱くことができない、そういう人も少なくないはずです。そこで、自分本位でドライな渡り鳥タイプの出番です。世界は広い、きっと自分にとって適切な場所があるはずです。

 「どの道を選んでも苦もあれば楽もある。それなら自分の好きな道(=場所)で生きようじゃないか」これがこのエントリーの主な提案です。しかし、繰り返しますが、サバイバルな渡り鳥タイプは、自分で考えること、努力することを止めれば、簡単に詰みますのでご注意ください。僕もまだまだこの道の途上。どんな結末が待ち受けているか分かりませんが、自分の身をもってその答えを確かめるつもりです。いずれにせよ、一度だけの人生、思う存分に楽しめる生き方をしていきたいものですね。それではさようなら。